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優良スレ001
少林寺拳法or丸廉への批難・文句受容スレ
778 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/02/28(土) 10:48
通りすがりの休眠拳士です。
「法形は何故こんなに多いのか?」のページを読ませて頂きました。とても素晴らしい内容で、しかも書かれた方の<少林寺愛>も感じられて、休眠拳士としても嬉しくなりました。

ここに書かれてある内容について、質問があるのですがよろしいでしょうか?

ここで、法形が多い理由として2つめに挙げられているのは、
・技が細かく命名されているのは、失伝しないから(・∀・)イイ!
ということ。逆に言えば、
・技が細かく命名されていないのは、失伝しそうだから(・A・)イクナイ!
ということですよね?

では、なぜ少林寺拳法では、他武道の技に対しての防御法について、あまり命名(紹介?)されていないのでしょうか?具体的には、

 ローキックに対する防御、タックルに対する防御、足払いに対する防御、寝技に対する防御
 絞め技に対する防御、関節技に対する防御・・・etc  (細かく言えばもっとあるのでしょうが、代表的なモノを挙げてみました)

これらに対する防御法が、少林寺の一般的な法形としては存在しないのはなぜでしょうか?これは、ここでの言葉を借りれば、技の形式化が進んでいないということになりませんでしょうか?言い方を換えれば、技術が失伝してしまうのでイクナイ!のではないのでしょうか?

779 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/02/28(土) 11:09
もう1つ

逆小手を例にとって、変化技1、変化技2…と、それぞれに命名されているからこそ失伝せず、形式化が進んでてイイ!とあります。

しかし、では先のページで紹介されている、内受突の変化としての、肘打ち、膝蹴り、体当たり等の技に命名がされていないのはなぜでしょうか?これらには、例えば内受肘、内受膝、内受押倒などのような(まんまですが)名前が付けられるべきなのではないでしょうか?

780 名前: アップル 投稿日: 2004/02/28(土) 13:15
通りすがりの休眠拳士さんいらっしゃーい!!
名前についてはよくわかんないけど
逆小手の変化の話は攻者の変化に伴う技の応用ですよね?内受突の場合は守者側のタイミングや攻撃の選択によるものなのでちょっと話がちがうのかなーっと。思いましたがいかが?

781 名前: 138B 投稿日: 2004/02/28(土) 14:26
>>778
> ローキックに対する防御、タックルに対する防御
> 足払いに対する防御、寝技に対する防御
> 絞め技に対する防御、関節技に対する防御・・・etc
> (細かく言えばもっとあるのでしょうが、代表的なモノを挙げてみました)

そんなんで大丈夫か?っていう議論はおいておいてありませんか?習いませんでしたか?
ローキックとか足払いは鶴立拳の応用だそうだし、タックルも、寝技も、対処法は教わったけど???
何とか攻ってやつですよ。例えば錣攻とか・・・

ん?そういう意味では無い質問なのか?

782 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/02/29(日) 01:05
アップルさん、レスありがとうございます。

>逆小手の変化の話は攻者の変化に伴う技の応用ですよね?
>内受突の場合は守者側のタイミングや攻撃の選択によるものなので
>ちょっと話がちがうのかなーっと。思いましたがいかが?

つまり、アップルさんのご意見は、
 ・攻者の変化に伴う技の応用ならば、形式化を進めて命名すべき。
 ・守者側のタイミングや攻撃の選択による変化ならば、その限りではない。
ということでしょうか?

そのどちらのご意見にも疑問点・矛盾があると思います。

まず、上記の点について反論です。
例えば、逆小手を力任せに踏ん張られた場合、足を払えば倒すことができるかも知れません。実際、柔道を経験した私の意見では、この場合は重心操作により、かなり上手く倒すことができると考えています。では、この技に逆小手足払などの技名を命名すべきでしょうか?私は必ずしもそうは思いません。なぜならば、これは法形の応用・変化の範疇として括れるからです。法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、少林寺拳法の良さなのではないでしょうか?

続いて、下記の点について反論です。
内受突の際には、攻者との間合や守者の体勢によって法形を変化させるのは技を分化しなくてもよいと仰っていますが、それでは、屈伸突と屈伸蹴はどうでしょうか? これは守者側の体勢や攻撃の選択によるものですよね?また、輪抜と諸手巻抜はどうでしょう?同様に、諸手送小手投、振捨表投、送突倒、腰挫はどうでしょうか? どれも、攻者との関係や守者の体勢によって変化した法形であり、しかしながら、命名されていますよね?

いかがでしょうか?

783 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/02/29(日) 01:19
138Bさん、レスありがとうございます。

>そんなんで大丈夫か?っていう議論はおいておいて
本来は、おいておいてはいけないんでしょうけれど…。
ただ、敢えて、技術レベルに関する議論はおいておきましょう。

>ローキックとか足払いは鶴立拳の応用だそうだし、
「○○の応用」とかいう言い方では、失伝してしまってイクナイ!のですよね?
言い換えれば、この技術については形式化が進んでいないということですよね?

>タックルも、寝技も、対処法は教わったけど???
>何とか攻ってやつですよ。
>例えば錣攻とか・・・

それはもしかして六段技とかでしょうか?私は残念ながら教わっておりません。

もしそうならば、他の武道では一年目から教えられている技に対する防御法が、少林寺拳法では五段以上にならなければ習得できないというのでは遅すぎではないでしょうか?

784 名前: Syami 投稿日: 2004/02/29(日) 01:30
こんばんは、「通りすがりの休眠拳士」さん。

>>例えば錣攻とか・・・
>それはもしかして六段技とかでしょうか?

そうです。「錣攻」は六段科目の羅漢圧法の中の一手です。寝技やタックル等に対抗する「法形」の多くはこの「羅漢圧法」に集中していますね。ま、ゆっくりお話ししていってください。

785 名前: アップル 投稿日: 2004/02/29(日) 12:18
>つまり、アップルさんのご意見は、
> ・攻者の変化に伴う技の応用ならば、形式化を進めて命名すべき。
> ・守者側のタイミングや攻撃の選択による変化ならば、その限りではない。
>ということでしょうか?

>そのどちらのご意見にも疑問点・矛盾があると思います。
どうもアップルです。

えっと、違います。私がいいたかったのは通りすがりの休眠拳士さんのはじめの例えがおかしくない?ってことです。比較するものが間違ってるからわかりにくいなーと。
私個人意見をしては既存の法形だけで十分です。それからそれだけでも応用の練習はできるからです。新しく法形として確立するよりも既存の法形しっかりやるほうが大切だと思うからです。やることは多いっす。昔がどうだったとか、あたらしい技がほしいとかそんなん現状に用意された法形修行をしっかりやらんと意味ないです。もちろん基本から応用まで。

名前についてはそんなに考えてない(スマンす)でーす。だって名前がつくかどうかは私にとって、試験科目になるかならないかくらいの大差ないものだからです。

786 名前: 138B 投稿日: 2004/02/29(日) 22:25
>>783
>少林寺拳法では五段以上にならなければ習得できないというのでは遅すぎでは
>ないでしょうか?

遅いかどうかは何を求めているかで決まると思いますが、私は決して遅いとは考えていません。最初はすっごく不思議、神秘的な体験に思いましたが、ある程度理解することができるようになってから教わるのがbetterと考えます。休眠など速いとこ止めて、教わってみたらどうですか?

787 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/01(月) 02:16
>>786 138Bさん

>遅いかどうかは何を求めているかで決まると思いますが、
>私は決して遅いとは考えていません。
しかし、少林寺拳法を学ぶほとんどの拳士が、その秘伝を学ぶ事もなく現役を去っていかれているのが現状ですが、それについてはどうお考えですか?それでも、現在の少林寺拳法の技術体系(法形の配列順等)には問題無しとお考えですか?

>休眠など速いとこ止めて、教わってみたらどうですか?
私はまだ三段ですので、すぐに教えて頂くというわけにはいきません。最短でもあと5〜6年は掛かってしまいます。(言い訳ではありませんが、私の元いた支部は、法形の配列順と科目表の指導内容を割りと忠実に守っていましたので、そう簡単には教えて頂けませんでした。)

あと、「ローキックとか足払い…」についてのレスにもお答え頂ければ幸いです。

788 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/01(月) 02:50
>>785 アップルさん

>えっと、違います。私がいいたかったのは通りすがりの休眠拳士さんのはじめの
>例えがおかしくない?ってことです。比較するものが間違ってるから
>わかりにくいなーと。
逆小手と内受突の例を挙げたのは、ちょうどHPで紹介されていたので、それに倣わせて頂いたまでです。そこで、改めて>>782 のような例も挙げてみたのですが、こちらも合わせてご覧下さい。どちらにしても、私の言いたい事というのは同じです。すなわち、

 少林寺拳法の法形においては、技の分化の判断基準(理由付け)が曖昧である。
ということです。

つづく

789 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/01(月) 02:51
法形の命名についてはアップルさんは専門外(?)のようですので、改めて問わせていただきます。

例えどのような武道・流派であっても、1つの技には、その類似系や変化形、応用形は存在するものです。その変化技に、別個の名前をつけるのか、あるいは元の技の応用ということで括るのかについては、何らかの納得のいく理由があって判断がなされるべきではないでしょうか?

しかしながら少林寺拳法では、同様の術理にほんのわずかな違いから複数の名前が命名されていることが非常に多いと思います。勿論同じ技を別の角度から検証する事によって得られるものもあるかと思います。しかしながら、それが法形の数を無駄に増やし、それゆえ少林寺拳法を新たに学ぶ拳士にとっての大きな障害となってしまっていることも考えるべきだと思うのです。

敢えて繰り返させて頂きますと、

  法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、
  少林寺拳法の良さなのではないでしょうか?


もしこの投稿をご覧の方の中で、(アップルさん以外でも)
   「否。少林寺拳法の法形の分化には、明確な理由付けが存在している」
   「判断基準が曖昧なのは、逆にメリットもあるのだ」
等のご反論をお持ちの方がいれば、是非ご教授願いたいと思います。

790 名前: rusher@seoul 投稿日: 2004/03/01(月) 07:46
私見です。

1.
法形は第一に拳士教育用の例題だと考えます。つまり「そこからどういう原理を学習するか」を重要視します。例えば握返はなんのために作られたものでしょう?

第二に法形は拳士向けの共通言語の役割を持ちます。つまり拳士が相互交流する上で持っているべき素養です。

2.
法形は開祖存命中に確定されたものでありますが、殊更に新規開発を禁じられたものではないと考えます。

また、事実としてその応用変化を容易に自己開発できるものとできないものがありますが、もともと法形という共通言語があるからには、個別のノウハウが拳士間に流通してなんら差しつかえないと考えます。

791 名前: アップル 投稿日: 2004/03/01(月) 09:18
>法形の命名についてはアップルさんは専門外(?)のようですので、
>改めて問わせていただきます。

あははは、恐縮です。あんまり考えたことなかったんですよねー。面白い題材だと思います。いろんな意見がでるかもしれませんね。

>それゆえ少林寺拳法を新たに学ぶ拳士に
>とっての大きな障害となってしまっていることも考えるべきだと思うのです。

さて、どんな障害でしょう??通りすがりの休眠拳士さんの言うとおり、命名に詳しくはないので(詳しい人いるの?)ここでいろいろみんなの意見聞いていこうかしら。法形ってどんどん増えていってるもんでもないし、なにに対して障害といってるんでしょう?まさか試験??んなばかなー

・法形が級別、段別にいっぱいあることで飽きずに長くやれる

以上のようなお話はよく聞きますが、多くて困るよいう人は余り見ないなぁ。ん?話がずれたなぁ。スマソ。
少林寺拳法は私達なんぞが簡単に「難しい」っていえるほど簡単なもんじゃないと誰かいってました〜幅広く奥が深いから楽しいのですねー。
というか、一つの法形にしても先生によってだいぶ違うわけで同じ技でも同じ掛け方ってないよねー。

極端に大げさにいうと
「同じ名前の法形でも先生によって違う技に見えてしまう。」(もしくは違う技術を使ってる。)

こっちのほうが見習いさんとかパニックになります。

792 名前: 138B 投稿日: 2004/03/01(月) 11:23
>>787
>私の元いた支部は、法形の配列順と科目表の指導内容を割りと忠実に守って
>いましたので、そう簡単には教えて頂けませんでした。)

それが当たり前と思いますが?速く五段になっちゃいなさいよって言う意味もあったんだけど・・・

ローキックなんかはここにいる皆の方が長けているでしょうからお任せするとして、足払いね。三段とのことなので袖巻返ってやりませんでしたか?羅漢拳だけど、攻者はただ袖を持ってくるのかな?もしかして、袖だけつかんで「掛けてみい」って言ってた???

793 名前: とっしぃ 投稿日: 2004/03/01(月) 11:38
全ての動きについて技の名前がついていたら・・・
  1. 数が膨大な量になる
  2. 技を全て覚えようとして大変なことになる
  3. 新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
  4. それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状でもよくありますが・・・)
  5. 研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る
となるのではないでしょうか?
私は技の数は少ないと感じたことはありませんが、逆に多すぎるとも思いません。

名付けのルールとして、らさんの仰る通り拳士に対する例題であり、共通言語であると思います。ピンポイントで申し訳ありませんが、例えば内受突の変化で肘打ち、膝蹴り等は間合いが違うだけで動きはほぼ逆突きと同じなので内受突を例題として色々試してみろ事ではないかと思います。柔法ならばそれぞれの極め方(逆、S字、閂等)や体捌きが違うはずです。先の例でいうなら、諸手送小手投、振捨表投、送突倒、腰挫ならば守者の体制もありますが送小手の極め方→体勢を崩す→S字→腰への当身(?)となって守者の行うことは違ってきます。
よって、それぞれに名前がついていると思われます。ちなみに輪抜と諸手巻抜は攻者が肘を張っているか閉じているかによって使い分けます。(他にも使い分けの要因はあるとは思いますが・・・)こちらも紛らわしいものはあるにしても、曖昧とは感じていません。

794 名前: 138B 投稿日: 2004/03/01(月) 12:35
>>787
>しかし、少林寺拳法を学ぶほとんどの拳士が、その秘伝を学ぶ事もなく現役を
>去っていかれているのが現状ですが、それについてはどうお考えですか?
>それでも、現在の少林寺拳法の技術体系(法形の配列順等)には問題無しと
>お考えですか?
この問いかけに触れるのを忘れていました。秘伝はみんなに教えたら秘伝じゃないしな〜っていうのが最初に読んでみた後の印象。現役を去るにしても、個々人が納得して(役に立たないと思ったり、極めたと思って)やめていくのなら仕方がないこと。例えば級拳士の技の寄抜にしてもやってみろと言われて自信もってやれますか?私なんぞ人のことは言えません、よっく怒られます。
  「それじゃ二段、三段の寄抜じゃ、ゴォラァ!」
ちと気を取り直してやり直すと
  「せいぜい四段の寄抜じゃ、ゴォラァ!」
てな感じ。やることいっぱいあるし、おもしろいし。道楽なんですよ道楽!だから現在の技術体系に大きな問題は無いと思ってますよ。(だからって無理矢理まとめようとしている・・・)

795 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/02(火) 01:03
>>790 rusherさん こんばんは。
>法形は第一に拳士教育用の例題だと考えます。
「例題」ですか。なるほど。法形を「公式」と考えるか「例題」と考えるかで、話は随分違ってくるような気がします。両者は似ているようでも、意味するものは大きく違いますから。確かにあくまで「例題」と考えるならば、相互に若干の類似や重複があったとしても、問題はありませんね。逆に、似たような例題を多く解くことによって、応用への基礎力を身につけることができるのかも知れません。

>第二に法形は拳士向けの共通言語の役割を持ちます。
>つまり拳士が相互交流する上で持っているべき素養です。
これについては、特に反論なしです。というかむしろ同意致します。(これって、私のどの点についてのご意見なのでしょうか…?)

>法形は開祖存命中に確定されたものでありますが、殊更に新規開発を禁じられたものではないと考えます。
そうなのですか。むしろそうであって欲しいと願います。いつまでも何十年も前の技術体系を守り続けているだけでは、進歩は危ういでしょう。

>また、事実としてその応用変化を容易に自己開発できるものとできないものがありますが、
>もともと法形という共通言語があるからには、個別のノウハウが拳士間に流通してなんら差しつかえないと考えます。
このご意見についても、全く同意です。私の好きな武道界の言葉に、「一人一流派」というものがあります。武道(どんな武道であれ)を突き詰めていくと、そのようになっていくものなのかも知れません。

796 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/02(火) 01:37
>>790 rusherさん
つづきデス。

>つまり「そこからどういう原理を学習するか」を重要視します。
>例えば握返はなんのために作られたものでしょう?
この点については、ある部分は同意なのですが、ある部分では逆にご質問があります。

まず握返は、(人によって解釈の仕方はあるのでしょうが)私は、
   「握手の体勢からでも逆小手に入れるという発想・考え方を拳士に伝えるため」
に存在しているのだと考えています。

これでいかがでしょうか?
もしこの解釈に同意して頂けるのであれば、次に私の以下のご質問にお答え頂けますでしょうか?

「別の入り方がある」ということを拳士に理解してもらうために、
他の方法(つまり法形以外の方法)は考えられませんでしょうか?

797 名前: rusher@seoul 投稿日: 2004/03/02(火) 01:43
>>790
(これって、私のどの点についてのご意見なのでしょうか…?)

貴殿特定と考えていませんので、気になさらないで下さい。
「こういう視点もあるんじゃないの?」という提案です。

せっかく議論するなら建設的にやってほしい/やりたいですからね。

798 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/02(火) 01:49
>>793 とっしぃさん こんばんは。

>全ての動きについて技の名前がついていたら・・・
>   (中略)
>となるのではないでしょうか?
激しく同意です。(上記は、私のどこかの意見についてのご反論なのでしょうか…?)

>私は技の数は少ないと感じたことはありませんが、逆に多すぎるとも思いません。
私も、数の単なる多さ少なさだけを論じているわけではありません。
どう感じるかは、主観の問題もあるので多くは言及致しません。

>ピンポイントで申し訳ありませんが、
いえ、むしろピンポイント大歓迎です。

>例えば内受突の変化で肘打ち、膝蹴り等は間合いが違うだけで動きはほぼ逆突きと同じなので
>内受突を例題として色々試してみろ事ではないかと思います。
では、先にも例を出しましたが、屈伸突と屈伸蹴はなぜ敢えて分化させているのでしょうか? また、外受突と外受蹴はいかがでしょうか?内受突と水月返はどうなのでしょうか? また、>>782 で挙げさせて頂いた、逆小手と逆小手足払(仮)はどうして分化していないのでしょうか?それぞれに、こちらは●●の理由で分化しており、こちらは●●の理由で分化していないといった、普遍的な判断基準は存在するのでしょうか?

ただ、お答えを伺う前にこう言ってしまうのも恐縮なのですが、所謂「後付け」の解釈はご遠慮頂けると嬉しいです。後から、納得の行く解釈の仕方を見つけようとすれば、おそらく何らかの理由は見つかるかと思います。しかしそのようなものではなく、普遍的で、明確な、納得のいく基準があればご教授願います。

>先の例でいうなら、諸手送小手投、振捨表投、送突倒、腰挫ならば守者の体制もありますが
>送小手の極め方→体勢を崩す→S字→腰への当身(?)となって守者の行うことは違ってきます。

これは、とっしぃさんの仰る通りだと思います。確かに、それぞれ技の術理が異っているのがよく分かります。

>ちなみに輪抜と諸手巻抜は攻者が肘を張っているか閉じているかによって使い分けます。
なるほど確かに、輪抜と巻抜の違いは分かります。では、諸手巻抜は巻抜の応用ということではダメなのでしょうか?つまり「巻抜は、攻者が一本背投げに来た時にも応用できる」ではいけませんか?

この応用を認めなければ、柔道やレスリング等の技の数だけ法形を用意しなければならなくなってしまいます。それとも、法形という形できちんと示してあげなければ、われわれ拳士はその応用の仕方に気づかないのでしょうか?

799 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/02(火) 01:53
アップルさん、138Bさん、レスありがとうございます。
夜も更けてまいりましたので(?)、レスはまた後日付けさせていただきます。

>>797 rusherさん
はい、了解しました。ご丁寧にありがとうございます。

800 名前: rusher@seoul 投稿日: 2004/03/02(火) 01:54
>>797 あ、番号を間違えてる。本当は>>795でした。

>>796
>まず握返は、(人によって解釈の仕方はあるのでしょうが)私は、
>「握手の体勢からでも逆小手に入れるという発想・考え方を拳士に伝えるため」
>に存在しているのだと考えています。
自分がある本部にいた先生から伺ったのは、
「どうやら開祖は、相手に握られた状態から自分の指を逃す守法を教えたくてこれを作ったらしい」
とのことでした。

実は、自分はこの真偽にはさしたる興味はありません。芥川龍之介の『藪の中』みたいな話になるだろうと思いますので。興味を持ったのは「開祖が▲▲を教えたくてこの法形を作った」という発想に対してです。ということは「この法形からは▲▲を学びとる」ということが重要になるわけです。このように拳士の発想をたくましくさせ、視点を広くとらせることを、自分は尊びます。

>まず握返は、(人によって解釈の仕方はあるのでしょうが)私は、
>「握手の体勢からでも逆小手に入れるという発想・考え方を拳士に伝えるため」
>に存在しているのだと考えています。
自分はその解釈を間違っているとは言いません。自分は思想上は教条主義者ではありませんので。(ただし修練上は「やってみなければわからない」ことがあるから執着することもあります)自己の学習上、あるいは後輩の指導上で有益であれば両論併記で済ませます。

801 名前: rusher@seoul 投稿日: 2004/03/02(火) 02:06
>>796

>「別の入り方がある」ということを拳士に理解してもらうために、
>他の方法(つまり法形以外の方法)は考えられませんでしょうか?
共通言語としての特長を失わせるほどに他の手法を大量に持ち込むと益が減ると考えます。しかし、そこまでやるわけでないのであれば、仰っている内容は、まったくもって当然です。

例えば、自分はその「他の方法」のカテゴリーの中に乱捕が入るとみなしていますよ。「ちょっと変った限定乱捕やってみるぞー」と言って、珍しい初期条件を設定して、それで後輩の身体動作や反応を矯正しようと試みることもあります。(これ、138Bさんが時々乱捕の時にやってるね)あるいは諸兄に教わった六尺棒を道具として用いることもあります。法形以前の基本動作や準備運動まで視野に入れるならば、それこそ手法を多種多様なところから調達してます。

こういった全般を「研究」と自分は呼称します。「研究」を排斥する者は、自分の敵です。

802 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/02(火) 20:48
>通りすがりの休眠拳士さん
ビスキュイと申します。興味深い話題を出していただいてありがとうございます♪技の体系について考えるいい機会になりました。話題はだいぶ進んでしまっていますが,私の考えを少しずつ書いていきたいと思います。

  さて…通りすがりの休眠拳士さんのご意見を読んで私なりに纏めてみると,
「なんでAという動きは法形として定められているのに同じような理屈のA’という動きは単にAの応用と言うだけで名前が付いていないんだ?法形の定め方の基準が曖昧だし615期生の言うところの「名前が付けられることによって形式化が進み失伝が防がれる」に矛盾するじゃないか!」
と言うことと理解したのですがよろしいでしょうか?(違ってたら言ってくださいね〜)それでですね…実は私も学生時代に同じようなことを考えたんですわ。「技の使い分け」っていう観点で。
  「相手がこう来た時はこの技,こう来たらこっちの技だよな?」
  「うんうん,そうだろな」
  「あれ?でもこの攻撃の時はAとA'とBのどの技を使えばいいんだ?」
  「それは間合やタイミングで…」
  「でもこれとこれはどちらも逆突に対する蹴反撃で間合は同じじゃないか?」
  「相手との位置関係で…」
  「いやどっちも外に避けて蹴りだし…」
  「うーん…」
というような状況でしたが。んでそれから色々考えてきたわけですが…現在の私の意見としては「法形の意味(役割)は一つじゃない」と「法形には直列の関係を持つものと並列の関係を持つものがある」です。

  これはどういうことかと申しますと,まず「法形の意味(役割)は一つじゃない」については,「法形の役割は「公式」「例題」「学習意欲の持続のための課題」と言ったそれぞれの役割だけで割り切れるものではなく,それぞれでありその全てでもある」ということです。ですから「公式である」という観点から見ると「何で?」という技も「例題」という観点で見ると説明がつく場合があったりするかと思います。このあたりについて「そんなあやふやな体系付けでは分かりにくい!」と感じる方がおられるかもしれませんが,この「幅の広い」ところが魅力だと感じているんですよね。
長くなったのでまたあとで…

803 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/03(水) 00:27
>>791 アップルさん

>さて、どんな障害でしょう??
技が多すぎるとどんな障害が起きるかは、私が言うまでもなく、とっしぃさんのお言葉を借りれば、下記のような事だと思います。

>>793
>2.技を全て覚えようとして大変なことになる
>3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状でもよくありますが・・・)
>5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る

とっしぃさん、拝借大変失礼致しました。
※とっしぃさんは、「全ての動きについて技の名前がついていたら」と前置きをされて上記を挙げられたため、厳密に言えば意味合いが異なるかも知れません。しかし、「法形が多すぎると起こりうる弊害」と広く捉えた場合は、ほぼ同義となるかと思い使わせて頂きました。失礼をお詫び致します。

また、私なりの意見としてまとめさせて頂くならば、

 ・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
   → 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
   → 技の変化・応用を研究する時間が減る。
   → 乱捕の場で実践してみる時間が減る。

 ・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
   → 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
   → 実践することの重要性が薄れてしまう。

以上のようなことを考えていますが、いかがでしょうか?上と下の違いは微妙なのですが、前者は単に時間が取られてしまうことを障害と考え、後者は修行時間内での割合が大きくなってしまうことを障害と考えおり、厳密には異なります。

>「同じ名前の法形でも先生によって違う技に見えてしまう。」
>(もしくは違う技術を使ってる。)
>こっちのほうが見習いさんとかパニックになります。
これは武道に限らず、あらゆるスポーツ、芸能、学問等々にも起こりうることですので、仕方ないかと思います。ただ、そのパニックをできるだけ軽減するためには、誰にとっても正しいと思われる、最大公約数的な、「基本」や「法形」が必要になるかと思います。それが守破離の「守」だと考えます。

804 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/03(水) 00:40
>>792>>794 138Bさん

>ローキックなんかはここにいる皆の方が長けているでしょうから
>お任せするとして、
改めて申しますと、私はローキックの防御法を尋ねている訳ではありません。「○○の応用」とかいう言い方では、失伝してしまって問題アリではないか?と問うているのです。

>足払いね。
>三段とのことなので袖巻返ってやりませんでしたか?
>羅漢拳だけど、攻者はただ袖を持ってくるのかな?
>もしかして、袖だけつかんで「掛けてみい」って言ってた???

袖巻返での攻者は、袖をつかんで、殴ったり、蹴ったり、引いてきたり、振り回してきたり、足を掛けてきたり、投げてきたり・・・ナドナドといったようなことをすると思います。

ローキックと同様になりますが、言いたいことは、足払いに対する防御技が法形として明記されていないのは、技術が失伝してしまって問題ではなかろうか?ということです。これについては、138Bさんはどうお考えなのでしょうか?

>秘伝はみんなに教えたら秘伝じゃないしな〜っていうのが最初に読んでみた後の印象。
それでは、五段までは取得していない少林寺拳士が、街で、柔道、柔術、サンボ、アマレス、相撲、総合、ラグビー、アメフトのどれかでも経験したことのあるDQNと相対することになった場合、どうするのでしょうか? 圧法を教わってなかったためにタックルを決められてしまったら、「負けない事」も達成できなくありませんか?

初段〜二段くらい段階で、「タックル切り」くらい普通に教えられてもよいのではないでしょうか? どうでしょう?

>例えば級拳士の技の寄抜にしてもやってみろと言われて自信もってやれますか?
どんな技でも完璧に行うのは難しいのでしょう。

>やることいっぱいあるし、おもしろいし。
>道楽なんですよ道楽!
>だから現在の技術体系に大きな問題は無いと思ってますよ。

このご意見には、はっきり申しまして、言葉を失いました。何のための丸廉なのでしょうか?

805 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/03(水) 00:43
>>802 ビスキュイさん こんばんは。

むむ、続きが非常に気になりますね。
では、この先のお話を楽しみにしつつ、今日はこの辺で。

806 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/03(水) 00:58
>通りすがりの休眠拳士さん
順番にレスするつもりだったのですが皆さんのテンポが速いので(私が遅い?)まずは今回のご意見について私の考えを…

>・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
>→ 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
>→ 技の変化・応用を研究する時間が減る。
>→ 乱捕の場で実践してみる時間が減る。

>・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
>→ 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
>→ 実践することの重要性が薄れてしまう。
とのご意見ですが,正直こういう傾向はありえます。しかし私はこれは指導の問題であり技の体系の問題ではないと考えております。さらに言えばこれは少林寺拳法体系の特色(利点?)と考えます。中国武術の言葉だったと思いますが,「千招を知る者よりも一招を得たものを恐れよ(だったかな?)」という言葉があります。「千の技を知ってる者よりも一つの技に熟達した者の方が恐ろしい」という意味だそうです。含蓄のある言葉です。
  しかしながら少林寺拳法は「千招を知ることにより一招を見つけ出せ」という教授法をとっているのだと考えます。多数の技を練習することによりその中に潜む共通原理を掴み取る。最終的にはある技を修練することが同時に(同じ原理の)他の技を修練しているのという状況になることを目指すのだと思います。しかも技の種類が多いから興味が持続し飽きない。これを利点と考えます。
   ただ教える側が技の関連や体系を理解してないと通りすがりの休眠拳士さんのおっしゃる「技が多い弊害」が出てしまいますが…

807 名前: アップル 投稿日: 2004/03/03(水) 10:25
>・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
>→ 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
>→ 技の変化・応用を研究する時間が減る。
>→ 乱捕の場で実践してみる時間が減る。

>・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
>→ 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
>→ 実践することの重要性が薄れてしまう。


結局、法形=試験科目という痛い考えが最近蔓延してるんじゃないかと・・。
あたらしい法形が増える=試験範囲が広がるっていう痛い考えになってるような悪寒。

試験にばっかりとらわれてる気がしてならんです。ちなみにこれは通りすがりの休眠拳士さんに言ってるわけではなく最近特に私が感じていることですので。私は現状の法形の数でも十分楽しめてるし、これからどんな技を習うんだろうとワクワクするし、習った技についてもっとおもろい使い方がないかと後輩に指導しながら考えてみたり、飽きることなく楽しいですねぇ。

808 名前: 138B 投稿日: 2004/03/03(水) 11:12
>>804 通りすがりの休眠拳士さん
>失伝してしまって問題アリではないか?
法形にあるから失伝しない=法形にないと失伝しちゃうとお考えのようですが、必ずしもそうではないと考えてます。本当にそうなのなら法形として残せば良いわけです。そもそも法形はそうやって増えていったと聞いてますけど?

>初段〜二段くらい段階で、「タックル切り」くらい普通に教えられてもよいのでは
>ないでしょうか? どうでしょう?

法形としてでなく、ちょろちょろとは出てきませんか?天宗なんかも使った対処方法なんかも茶帯のころやりましたよ。でもそれが羅漢圧法だったと知ったのはだいぶ後ですけどね。

>このご意見には、はっきり申しまして、言葉を失いました。
>何のための丸廉なのでしょうか?

お気に召さなかったみたいですね。通りすがりの休眠拳士さんと同じ価値観でないとだめか・・・現在の技術体系に全てをおっかぶせて、枝葉末節までレールを敷いてくれないと気が済まないというのは、少なくとも私の好みでは無いのです。

809 名前: 名無しさん@いらっしゃい 投稿日: 2004/03/03(水) 12:54
>2.技を全て覚えようとして大変なことになる
これのどこがもんだいなの?そんなに簡単な技術じゃないのに。大変だからおもろいのでは?
>3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
これは本人の練習不足でしょ?

>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状でもよくありますが・・・)
バラで覚えるからわるいのでしょ?関連付けてれんしゅうすればよろし

>5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る
減らしてるのは個人志向の問題。

810 名前: 40前拳士 投稿日: 2004/03/03(水) 13:08
 興味深い話題ですね。
 私も参加させて戴いて宜しいでしょうか?

<法形の数の多さについて>
 私も、ビスキュイさんとほぼ同じ考えです。数少ない技を徹底的に鍛える流派が「演繹法」だとすれば、少林寺拳法の修行体系は「帰納法」になっている、ということです。
 私も最初は、「こんなに技が多くては、一つ一つが十分に練習出来ないのではないか」と思っていたのですが、実は幾つかの数少ない技に収斂しますよね。例えば「S字」という一つの技を数多くのS字法形を一つ一つこなして行くことで徹底的に練習しているのではないか、ということです。
 最終的には、相手がどういう掴み方をしてきてもそのときの自分との関係によって、自然にS字・コの字・閂… などなどが出てくるようにする境地を目指す、という方法論ではないでしょうか。

811 名前: 名無しさん@いらっしゃい 投稿日: 2004/03/03(水) 13:08
私的で勝手な意見を書きます

>・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
それで構わないと思います。何か問題でも?一つずつ時間掛けてやればいいと思います。
>→ 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
それは自分の稽古目的の違いだと思います。きちんとやりたい人は一つずつ時間掛けて練習します。
減らしてるのは自分では??
>→ 技の変化・応用を研究する時間が減る。
なにか時間に追われてる感じですね〜。短期間でずべてを体得しようなんてムーリなわけで。じっくり楽しんだほうがいいと思います。そしたら時間が減るとかそんなん関係ないかなーと。より長く楽しむなら「技の変化・応用を研究する時間」大事ですね。
>→ 乱捕の場で実践してみる時間が減る。
これも同様、減る理由がわからん。やること多いならなお楽しい。
>・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
>→ 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
>→ 実践することの重要性が薄れてしまう。
覚えたあとに実践することって練習すればいいだけじゃん。と思います。何が問題点なのかわからんなぁ。

それともかなり時間が限られてる理由なんかあるのでしょうか?んな死ぬまで少林寺で楽しんでいけるのに。そんなに時間がないってあるのかな?限りがある人は少ないと思われ。

812 名前: Syami@Office 投稿日: 2004/03/03(水) 13:22
>>804 通りすがりの休眠拳士さん
>何のための丸廉なのでしょうか?

これは興味深い。あなたはこの丸廉が何のための集まりだと理解なさっておいでですか?

813 名前: 40前拳士 投稿日: 2004/03/03(水) 13:33
<対他流の技術>
 これは確かに、ちゃんと考えなければならない問題ですね。

 対柔道については、開祖や開祖の初期の門弟たちはそもそも拳法を学ぶ以前にさんざん柔道をやってきた先生方が多かったと聞いています。ですから、対柔道技は非常によく出来ているはずなのです。なのですが、少林寺プロパーの拳士が増えてくると、攻者として柔道の攻め方がきちんと出来ずその結果、それに対抗する少林寺の技もきちんと練習できない、そういう現象が起こっても不思議ではありません。

 私が所属していた大学拳法部はかなりの大所帯でしたので高校までに柔道をやって、2段を持っている人間も数名いました。そういう仲間と練習すると、「こんな足払いがあるか」とか「一本背負いを二の腕で巻き込んでも立てるのか」とか「投げられたときの受け身は本当にこんなので良いのか」とか、言い合いしながら色々試すことが出来ました。
 監督も警察に指導に行ったりしていましたから「柔道にがっちり組まれたらもう駄目だよ」「すばやく当身を入れないと逆小手かからないよ、機動隊員の手首はキミらの足首くらいあるんだから」とことあるごとにおっしゃっていました。

 攻者がちゃんと出来ないと、技の練習にならない。
 ここはちゃんと考えるべきポイントです。

 「キックボクサーのミドルキックを十字受なんて出来るのか」なんてのも、結局はこの問題ですね。
 対タックルに対する練習にしたって鋭いタックルを出来る人間を相手にしないと練習のしようがありません。

 そういう意味では、出来るだけ視野を広げて虚心坦懐に他流の研究をすべきでしょうね。そしてその中には、ブラジリアン柔術など比較的最近の技術(正確に言うと、昔からあったが最近表に出てきた技術、でしょうか…)に対する研究・対応する法形の開発も必要になってくるのではないでしょうか。

814 名前: 40前拳士 投稿日: 2004/03/03(水) 13:51
<失伝について>
 これもまた難しい問題ですね。実は、私は幾つかの技術、特に危険な(それ故実は非常に有効な)技術のいくつかは既に失伝しつつあるのではないかと疑っています。

 例えば、開祖のそばにずっとついていらっしゃった先生に開祖直伝の送小手、というのをちょっとだけ教えてもらったことがあります。送小手は、肩を引っ掛けて倒す技ではなく本来は肘を壊す技なんだそうです。少林寺拳法を普及させる上で、危険な技を丸めているケースは他にも色々あるようです。私なんかは下っ端ですので知り得べくもないのですが、こういうのは高段者の方々にちゃんと受け継がれているのでしょうか?

 圧法については、かの坂東先生の道院では、初段・弐段からバンバン教えていたようですね。「これくらい有効な技はないんだから、どうして教えない?1000人入門して、いったい何人が5段になるんだ?」というのが先生のお考えだったようです。

 私は今海外にいてかないませんがいつか日本に帰る日がきたら、
 是非武専に通って修行したいと思っています。

815 名前: アップル 投稿日: 2004/03/03(水) 14:15
http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/manjikiso2.html
守主攻従の技術体系を支えるもの
「練習相手としての攻者」

ここに到達しますたか。他武道経験のある拳士が身近にいないのよね。とくに柔道に関しての技が多い感じがするので柔道経験者がほしいところ。というか自分がもう少し柔道の勉強もしなさい!ということになってくる。「攻者」という役割を果たすためにはある程度の他武道の研究や経験も必要になってくるんだねぇ。うまいことできてますね、少林寺って。

816 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/03(水) 19:14
通りすがりの休眠拳士さんへのレスが飛び飛びになってしまいましたが昨日の続きを…
さて,昨夜は「法形の意味(役割)は一つじゃない」について書きましたが,続いて「法形の直列と並列の関係」について説明してみたいと思います。あっ,ちなみにこの用語は私が勝手に考えたもので少林寺拳法の正式な用語ではありませんのでお間違えないようお願いいたします〜。
で,直列と並列ですが…,これは特に柔法技において顕著だと思うのですが,ある一つの技を起点として多面的に変化が展開していく技がありますよね?
例えば

逆小手→逆手投or龍投or逆引天秤or合掌逆小手or…

これらの技は逆小手を基本の動きとして相手の体勢等に応じて変化の枝分かれが描けます(トーナメント表みたいに)。こういう関係にある技を私は「直列の関係」と整理しています。続いて並列ですが,例をあげるとすれば…ん〜…流水蹴と上受蹴なんかかな?相手の突き(手刀)に対しどちらを選択しても反撃できます。こういう関係にある技を並列と呼んでます。この話は通りすがりの休眠拳士さんの疑問からはちょいとズレてしまいますが,「技の使い分け」という観点から考えた場合,直列の関係にある技は「相手の変化に応じて行う技が決まってくる」が,並列の関係にある技は「使いやすい技を好きに選んで使えや」ということになると思うのです。このように考えてからは「技の使い分け」ということで悩むことはあまりなくなりました。
さて,こうした視点を持って少林寺拳法の科目表等を見直したりみると…少なくとも私自身は「非常に良く整理されていてなんてまあ解りやすく作ってあるのだろうか!」と思ったりします。ですから「それが法形の数を無駄に増やし、それゆえ少林寺拳法を新たに学ぶ拳士にとっての大きな障害となってしまっていることも考えるべきだと思うのです。」という休眠拳士さんのご意見については「それは体系の問題じゃなくて指導の仕方の問題ではないか?」と思うわけです。

817 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/03(水) 19:17
なんか文章にしてみると「直列」と「並列」という「文字の語感」から考えると逆の方が雰囲気出るのかな〜?まあ「縦に連なっていく関係の技」と「横並びの関係の技」というイメージなんですが…

818 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/03(水) 19:54
さてさて,話が少々(かなり?)ズレてしまいましたが…では休眠拳士さんがおっしゃってる「という動きは法形として名前がつけられておりその変化にもA'という名前が付けられている。しかし同じような変化であるのにという動きはの応用と言うだけで法形にはなっていない。何故だ?」についてですが…何故でしょうね〜?正直分かりません。ただ私見ですが,開祖が技術体系を作り上げていくときに法形を定めていく時の判断基準は統一的な一つの判断基準だけではなかったのではないか?と考えてます。例えば今回通りすがりの休眠拳士さんがおしゃっている

「例えどのような武道・流派であっても、1つの技には、その類似系や変化形、応用形は存在するものです。その変化技に、別個の名前をつけるのか、あるいは元の技の応用ということで括るのかについては、何らかの納得のいく理由があって判断がなされるべきではないでしょうか?」

は「技の用法」に基づいた基準だと思うのです。これはもちろんあると思います。しかしそれ以外にも(ここからは完全に推測ですが)「体育的な判断に基づいた分化(「一方向への動きだけでは体に悪いから反対の動きも作ろうかな〜」)」とか「学習課題としての分化(「技が少ないと興味が持続しないかもしれんな〜。もう少し増やすか」)」などもあったのではないか?と思うのです。ここで昨日の私の書き込みとつながります。すなわち「法形の意味(役割)は一つじゃない」と。「そんな体系わかりにくいわ!」とお思いでしょうか?しかし私はこの多面性こそが非常に少林寺拳法らしくかつ利点でもある点だと思うのですよね〜。武術でもあり宗教でもあり健康法でもある,一粒で二度も三度を美味しい,ああ素晴らしき少林寺拳法♪…思いっきり後付けかな?

819 名前: 138B 投稿日: 2004/03/03(水) 20:19
通りすがりの休眠拳士さん

目の前にぶら下がった物だけに反応していたら全体が良く分からなくなった。
いかんいかん。

>ローキックと同様になりますが、言いたいことは、足払いに対する防御技が
>法形として明記されていないのは、技術が失伝してしまって問題ではなかろうか?
>ということです。これについては、138Bさんはどうお考えなのでしょうか?

他武道の技に対しての防御法が少ないと言っているのかとも取れるのですが

>法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、
>少林寺拳法の良さなのではないでしょうか?

とも仰ってましたね。

「法形となっていて欲しいところが法形となっていないのに、応用ですむようなところが法形になっている。法形の命名の仕方が曖昧と感じる、技が多すぎる。」

と言うことでしょうか?もしそう感じるのなら、指導方法が悪かったのだと思います。技術体系に関することや、早い遅いの話しは以前の書き込みと変わりありません。

820 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 01:24
>>800>>801 rusher@seoulさん

>「どうやら開祖は、相手に握られた状態から自分の指を逃す守法を教えたくてこれを作ったらしい」
なるほど。面白い捕らえ方ですね。

>興味を持ったのは「開祖が▲▲を教えたくてこの法形を作った」という発想に対してです。
>ということは「この法形からは▲▲を学びとる」ということが重要になるわけです。
なるほど。ここで仰っている事は、ビスキュイさんが後に>>802>>818で仰られている「法形の意味(役割)は一つじゃない」ということにも繋がりますね。このような考え方・捉え方は、非常に興味深く、また納得できます。

>例えば、自分はその「他の方法」のカテゴリーの中に乱捕が入るとみなしていますよ。
先に白状致しますと、このようなご意見を頂けるのを待っておりました。私の真の主張は、実はここにあります。すなわち、「技の応用や変化は、法形からではなく、乱捕から身に付けるべきではないか?」

ということです。私は最終的には、法形の不完全さを説きたいわけではなく、それを踏まえて、この「乱捕」論に議論を発展させていきたいと考えていたのです。しかしその議論に向かう前には、法形について十分な議論を踏んでおくべきだと思い、まずは先制のジャブのような気持ちで>>778の書き込みをさせて頂きました。

乱捕につきましては、また後ほど話題に上げさせて頂ければと思います。
まずは、トコトン(?)法形についての議論にお付き合い頂ければ幸いです。

821 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 01:30
>>807 アップルさん

>結局、法形=試験科目という痛い考えが最近蔓延してるんじゃないかと・・。
>あたらしい法形が増える=試験範囲が広がる
>っていう痛い考えになってるような悪寒。
昇級・昇段試験のあり方については、改めて議論の必要があるかも知れませんね。

>私は現状の法形の数でも十分楽しめてるし、これからどんな技を習うんだろうと
>ワクワクするし、習った技についてもっとおもろい使い方がないかと
>後輩に指導しながら考えてみたり、飽きることなく楽しいですねぇ。
なるほど。そのような考えや感じ方も、正直分かります。この辺りの話になると、本当に人それぞれの求めるモノによって違ってくるのでしょうね。

822 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 01:47
>>808>>819 138Bさん

>法形にあるから失伝しない=法形にないと失伝しちゃう
>とお考えのようですが、必ずしもそうではないと考えてます。

いえ。上記は私の考えではありません。丸廉のHPの「法形は何故こんなに多いのか?」のページで、そのように紹介されてあったのを引用したものです。私が言いたいのは、そういった引用を引き合いに出しながら、「でもそれだけじゃ説明がつかないよね?」とか、「矛盾してるよね?」といったように、指摘したかったまでです。(事実、138Bさんのここでのご発言は既に615期生さんのご意見と相反しておりますし)

要するに、ある法形の存在を正当化しようとすると、別のある応用技が法形として存在しないことの理由が説明できなくなる、ということを申し上げたいまでです。

>法形としてでなく、ちょろちょろとは出てきませんか?
(繰り返しになってしまいますので、これで最後にしたいと思うのですが)
法形としてちきんと命名しないと、次世代に伝える時に大変不利になってしまうのではないのでしょうか?まずは私の意見にご反論される前に、丸廉の以下のページについてどうお考えかをまとめて頂けると、議論が堂々巡りせずにすむのですが・・・。
  http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/page356.html

>もしそう感じるのなら、指導方法が悪かったのだと思います。
ビスキュイさんのご意見>>816を始めとして、「少林寺拳法の技術は問題ないけど、指導の仕方が悪い」といった発言はよく見られますね。(某2chでも・・・)では、なぜそのような悪い指導方法が蔓延してしまったのでしょうか?この問題をしっかりと見据えなければ、「他の道院はダメだけど、ウチは良いから無問題!」的な考え方で終わってしまう気が致します。

>お気に召さなかったみたいですね。
>通りすがりの休眠拳士さんと同じ価値観でないとだめか・・・
先の発言は、確かに言い過ぎだったかも知れません。申し訳ありませんでした。

823 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 01:58
>>812 Syamiさん こんばんは。

>これは興味深い。
>あなたはこの丸廉が何のための集まりだと理解なさっておいでですか?
外部からこの丸廉を見た者の感想としては、

丸廉は、
  少林寺拳法という素晴らしい武道を、
    もっと深く理解しよう
    もっと深く広く研究しよう
    もっと教え合い、学び合おう
    もっと堪能しよう、楽しもう
  といった志を持った、意欲ある方達の集まり
だと解釈致しました。

そしてその修練の過程の中でこそ、お互いを指摘し合ったり、少林寺拳法のイクナイところについて議論したり、より良くなっていくようみんなの力で少しずつでも変えていこう!といった活力が生まれてくるのだと解釈しております。

またそのような期待を持って丸廉を訪れたからこそ、138Bさんの794のような発言が、どうしても気になってしまったのかも知れません。

824 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 02:07
>>815 アップルさん

http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/manjikiso2.html
>守主攻従の技術体系を支えるもの
私も、このビスキュイさんの考え方には激しく激しく同意致します。

そして、こと柔法に関しては、特に攻撃する側がお粗末を言わざるを得ないのが現状だと思います。他武道の全ての技に習熟するのは到底無理にしても、例えば少林寺が三段であれば柔道の初段レベル、少林寺が四段であれば、柔道の二段レベルくらいの技は、身に付けておくべきなのかも知れません。

私の意見でも、他武道研究については非常に重要だと考えてはいるのですが、同時に反対意見も持ち合わせております。例えば、パンチの技術に高レベルで精通したボクサーであれば、キック、タックル、寝技などの技術は覚えずとも、パンチだけでも対応できるようになるのではないかと思います。

既にビスキュイさんの>>806のレスで、
>「千招を知る者よりも一招を得たものを恐れよ」
とありますが、私もこの言葉に同意です。

825 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 02:23
>>811さん こんばんは

>それは自分の稽古目的の違いだと思います。きちんとやりたい人は一つずつ時間掛けて練習します。
多くの支部・道院では、稽古時間や稽古のメニューが決まっているため、そうもいかないと思います。学校の体育館などを借りている道院では、居残りなどもできないため、尚更です。

>なにか時間に追われてる感じですね〜。短期間でずべてを体得しようなんてムーリなわけで。
>これも同様、減る理由がわからん。やること多いならなお楽しい。
>それともかなり時間が限られてる理由なんかあるのでしょうか?
単純計算ですが、10の時間で10の技を覚えようとすると、1つあたりに掛けられる時間は1ですよね?10の時間で2つの技を覚えようとすると、1つあたりに5の時間を掛けられるようになると思います。

811さんは、時間が無限にあるとお思いですか?

って別に、哲学的にムツカシイことを述べたいわけではなく、w
まず、上述したように、道院の稽古時間や場所などの環境によって制限されます。また、学生時代に部活で学ぶのであれば、3年もしくは4年というように期間が限られています。
社会人になっても続ければよいかも知れませんが、仕事の都合や、結婚後は家庭の事情もあって、2〜3週間に1回稽古に行ければいい方だったりして、ここでも学ぶ時間は有限です。

限りある時間を有効に使うべきだというのが、そんなに訳の分からない事ですか?

826 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 02:47
>>810>>813>>814 40前拳士さん こんばんは。

> <法形の数の多さについて>
>  以下略

ビスキュイさんのご意見と合わせて読ませて頂きました。

40前拳士さんのご意見を私なりに咀嚼して言い換えさせて頂くと、「少林寺拳法の法形は確かに技も多い、重複している技や、分化の意図が曖昧な技もある。だがそれは技法の習得の方法論の違いから生じる誤解であって、法形は帰納法的に技術を習得する為のものという観点から考えれば、決して矛盾した技術体系ではなく、むしろ非常に理に適ったものである」という考えになりますでしょうか?

つまり、私の意見の半分くらい(法形の技術の重複等)には同意して頂いているものの、その解釈の仕方に、違いを見い出されているということで宜しいでしょうか?

そうであれば、私も次の段階の意見を述べさせて頂きたいのですが、その前にビスキュイさんのご意見にもお答えしてからと致します。

> <対他流の技術>
>  以下略


私も40前拳士さんのご意見に同意致します。(先のアップルさんへのご返答にも書きましたように、私自身の中に反対意見も同居している考えでありますが・・・)

私は柔道を、小学校2年間と高校2年間、浪人時代の半年(これは余計か?w)と、計4年半かけて学んできまして、初段を取得しております。その経験から言わせて頂きますと、少林寺拳法の現在の柔道対策は、残念ながら極めて不十分であると断言できます。少林寺拳法の経験者には、是非柔道家との柔法乱捕を行ってみるのをお勧めしたいと思うほどです。

これには、今テーマに上がっている法形の問題もさることながら、他にも原因があると考えています。ただ今は脱線を避けるため多くは語るのを控えます。

> <失伝について>
>少林寺拳法を普及させる上で、
>危険な技を丸めているケースは他にも色々あるようです。

それは存じませんでした。柔術から柔道に変わった時の技の編成と同様ですね。一般に広く伝えるためには必要だったのかも知れませんね。

>「これくらい有効な技はないんだから、どうして教えない?
> 1000人入門して、いったい何人が5段になるんだ?」
坂東先生はそのように仰っていたのですか。これも初耳でした。坂東先生が今でもこのようにして、圧法で人をバンバン失神させていっていたら、誰も少林寺拳法は弱いなどと言わなくなるかも知れませんね。

827 名前: アップル 投稿日: 2004/03/04(木) 09:15
ん〜、私だけ話の論点がずれている模様。スマソ。

>そして、こと柔法に関しては、特に攻撃する側がお粗末を言わざるを
>得ないのが現状だと思います。他武道の全ての技に習熟するのは到底
>無理にしても、例えば少林寺が三段であれば柔道の初段レベル、
>少林寺が四段であれば、柔道の二段レベルくらいの技は、身に付けて
>おくべきなのかも知れません。
禿同です。柔道の段位はまぁ関係ないとして、少林寺4段の技を身につけているならば当然にその護身を身に付ける際に必要だった攻撃技も身につけていなけりゃおかしいですよね。と思うのです。

また、話がずれてしまうのですが、通りすがりの休眠拳士さんがおっしゃる通り柔法においては攻者の役割(攻撃)が明確になってない場合が多いですね。だから前にビスさんにやってもらった柔法における攻者の攻撃の確認っていうのが非常におもしろかった!!ハンマー投げ楽しい!!

あ、またズレタ??

828 名前: アップル 投稿日: 2004/03/04(木) 09:35
少林寺拳法の整法   
http://sports6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078317714/

整法スレがあがってるみたいですねー。元ネタがどうとかどうでもいいけど、それ自体がすばらしいものであるなら良し!

829 名前: Syami@Office 投稿日: 2004/03/04(木) 09:46
>>823

Correct! Very well.

830 名前: Syami@Office 投稿日: 2004/03/04(木) 09:52
>>828
アプール君。興味があるならばここを覗いてごらん。

http://home.kinsei.net/kinsei/syourinnji.html

831 名前: 138B 投稿日: 2004/03/04(木) 11:40
>>822

>丸廉の以下のページについてどうお考えかをまとめて頂けると、議論が
>堂々巡りせずにすむのですが・・・。
>  http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/page356.html


おや、できてたんですね。なんで私の所は読めなかったのか?強制リロードしたら現れるようになった、クッキーのせいか?なんで書きかけの題目について、煽ってくるのかと考えてたので・・・こりゃすみませんでした。

通りすがりの休眠拳士の論調は大元があって、だったらこうだよね、っていう書き方。その大元が見られなかったのでこうだよね、と言ってるように逆の意図に取ってました。

論点が完全にずれてたようです。

832 名前: 138B 投稿日: 2004/03/04(木) 11:42
おっと、訂正

>通りすがりの休眠拳士の論調は大元があって、だったらこうだよね、
通りすがりの休眠拳士さんの論調は大元があって、だったらこうだよね、

833 名前: アップル 投稿日: 2004/03/04(木) 12:22
>アプール君。興味があるならばここを覗いてごらん。
覗いてみました〜。初めて目にしたエピソード!おもしろいですねぇ。

もとは開祖が創案した少林寺拳法ですがそこで終わりじゃないし、元々中拳だったものを開祖が時代にあわせて少林寺拳法にしたように、拳士がもってきたイイ技術はどんどん取り込まれていくんじゃないかな。
義務はないんだろうけど、権利はあるんじゃないかな。どのような修行しても本人の勝手なわけだ。総合の研究がしたい。対柔道の練習を。空手の技を取り入れたい。なんでもできると思うのよね。

道から外れていなければ。




頭悪いので皆さんみたいに論ずることはできませんが、おれは楽しいから良し!で大体OKな感じ。。

836 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 14:43
>>826 通りすがりの休眠拳士さん

 こんばんは、RES有難うございます。すいません、40過ぎてました、わはは。最近は2ちゃんねるを覗くことも少なくなりましてや書き込みなんてめったにしないもので、自分でハンドルを変えたのをうっかり忘れてしまっていました。

 私の基本的な考え方は、貴方とあまり違いが無いと思います。ただ、私の方が志が低いというか、利己的と言うか、流派の教程は、それはそういうものとしてそのまま受け入れて頭の整理は個人的にやろうというのが基本的態度なので…本当はこういう受け身な姿勢は駄目なんでしょうけどね。

837 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:39
>>802>>806>>816>>817>>818 ビスキュイさん こんばんは。
(書き溜めていたレスを一気に投稿します)

>さて…通りすがりの休眠拳士さんのご意見を読んで私なりに纏めてみると,
> (中略)
>と理解したのですがよろしいでしょうか?(違ってたら言ってくださいね〜)
全く仰る通りです。

>まず「法形の意味(役割)は一つじゃない」
>については,「法形の役割は「公式」「例題」「学習意欲の持続のための課題」と
>言ったそれぞれの役割だけで割り切れるものではなく,それぞれでありその全てで
>もある」ということです。
なるほど。確かにそのように解釈すると法形が矛盾しているとは思えなくなりますね。

>「技の使い分け」という観点から考えた場合,直列の関係にある技は「相手
>の変化に応じて行う技が決まってくる」が,並列の関係にある技は「使いやすい技を好き
>に選んで使えや」ということになると思うのです。
この部分も分かります。私も何となくこういう分け方なら理解しやすいなぁとぼんやり思ってはいましたが、改めて言語化されたものを見ると、さらに理解が深まります。

>私はこの多面性こそが
>非常に少林寺拳法らしくかつ利点でもある点だと思うのですよね〜。武術でもあり宗教
>でもあり健康法でもある,一粒で二度も三度を美味しい,ああ素晴らしき少林寺拳法♪
>…思いっきり後付けかな?


いえ、全く後付けとは思いません。素晴らしいご理解・考え方だと思います。
なるほど、もっとも!と思わず唸るようなご意見を拝聴できて、嬉しく思います。
では、今度は、私の次の意見を書かせて頂きたいと思います。

838 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:40
つづき

私は>>778 以来、法形の不完全さについて繰り返し説いてまいりました。しかし、私が本当に主張したい事は、法形についてではなく、乱捕や法形の実践性についての問題なのです。

少林寺拳法を修める方達の間でよく言われているのが、「法形を乱捕で実践できない」「法形と乱捕が上手く繋がらない」「乱捕ではどうしても軍鶏の喧嘩になってしまう」そして、「少林寺が弱いと言われるのは仕方ない」と言うような批評です。これらの否定的な捉え方について、一般的に見れば、異を唱える方はあまりいらっしゃらないのではないかと思います。(ウチの道院は大丈夫、とかは抜きにして)

一体このように言われるのは何故なのだろうかと、ひたすら考え続け、その結果として、私は少林寺拳法に根ざす、根本的な問題に行き当たったのです。

結論から先に申しますと、

「技の応用や変化は、法形からではなく、乱捕から身に付けるべきではないか?」

平たい言葉にすると、何とも捻りの効かない、有りふれた文句になってしまいますが、これが、私の主張の根源になります。この主張について論じる前に、まずビスキュイさんの、以下の部分を引用させて頂きます。

>少林寺拳法は「千招を知ることにより一招を見つけ出せ」という教授
>法をとっているのだと考えます。

教授法の違い。ここは40前拳士さんの>>810の方法論の違い(演繹法・帰納法)という考え方と重なりますね。仰っていることは非常によく理解できます。つまり、私が、少林寺拳法の法形が多いとか、重複しているとか、分化の意図が曖昧だとか言う主張に対し、これは技術の教授法の違いや、学ぶ側の方法論の違いからくる誤解である、ということですね?
私は逆に、少林寺拳法の技法の「教授法」や「方法論」こそ、最大の問題ではないかと考えているのです。

つづく

839 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:42
つづき

私は、よく少林寺拳法の教授法を、日本の学校英語教育の教授法と比較して、
以下のように考えます。
英語学習 少林寺拳法
英単語 基本(突き・蹴り)
連語・熟語 連攻
文法 法形
英会話 実線・乱捕
英作文 演武

いかがでしょうか?この例にご同意頂けるかは別にしても、少なくともご理解はして頂けるかと思います。

日本の英語教育というものは、ご存知の通り、中学校から大学まで一生懸命勉強しているのに、ほとんどの人はロクに英語を喋れるようになりません。英熟語や英文法についてどれだけ熟達していても、一たびそれを使って喋ってみるという段になると、「英文法を会話で使えない」「英文法と会話が上手く繋がらない」そして、「日本の学校英語教育では英語を喋れるようにならない」と言われるようになるのです。

英語の文法博士になることよりも、英語をコミュニケーションのツールとして使いこなせるようになることの方が、遥かに重要であるはずなのに、一向に文法偏重の英語教育は直りません。
現在の少林寺拳法は、英語教育と同様の轍を踏んでいるのではないかと思えてなりません。

つまり、法形をあれだけ練習してるのに実践できない。いざ乱捕となると、思ったように動けない。法形が乱捕で使えない。…少林寺の技は使えない。

このように書くと、「法形はそのまんまの形で使おうと思うな!法形は、乱捕では多様に変化・応用させて使うもんや!ゴルァ!!」という反論を受けそうですが、私の言っているのはその先の話です。つまり、たとえ法形を変化・応用させたとしても、思ったように使えていないということです。逆に、乱捕において、法形を多様に変化・応用させながら、自由自在に使いこなせていると思う人は果たしてどれくらいいらっしゃるのでしょう?

剛法だけではなく、柔法でも同様です。咄嗟にあらゆる形に対応できる人はどのくらいいるでしょう?自分より体の大きい人、力の強い人を小手投げで投げる(飛んでもらうのではなくて)ことができる人はどのくらいいるでしょう?柔道であれば、4月に入部して、秋に初段を取った高校生であれば、未経験者の白帯程度であれば普通に投げれる技術を身に付けています。

では、技を実践できないのは、少林寺拳法の技自体が使えないものだからなのでしょうか?(英語に喩えると、英会話ができないのは英文法自体が使えないものだからなのでしょうか?)

私の答えは否。少林寺拳法技術自体は素晴らしいものであるが、その技術習得の方法論、教授法に問題ありと考えるのです。

つづく

840 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:43
つづき

英語を例に取って考えてみます。
第五文型の1つ、SVOの第三文型を学ぶ場面を想像してみて下さい。

<少林寺の法形的教授法>
まずはSVO自体について教授します。さしずめ、Vは他動詞、Oは名詞や名詞句であること、Oの前に前置詞はつかないこと等でしょうか。次に、このSVOの変化形や応用形を教授します。たとえば、文頭に副詞句がついた場合、Oの前に形容詞がついた場合、文の前や後に接続詞節がついた場合・・・等々。例文をたくさん掲げて色々な角度から検証します。また周辺知識として、前置詞とは何か、自動詞と他動詞の区別についての説明がなされるかも知れません。そして最後に例文を声に出して発声するなどの練習で、結びになります。

仮に1時間の授業だったとしたら、これまでで60分全てを費やしてしまいます。(もし、会話を重視する先生であれば、文法の内容を少し削ってでも、最後の10分位は隣の席の人と、今日習った事を使って会話の練習をするなどの工夫をするかも知れません。)このような授業をミッチリ行う事で、生徒は文法に強くなり、語学としての幅広い豊富な知識が身に付きます。自動詞と他動詞の区別についてなど、先生顔負けの薀蓄を語れる生徒も育つかもしれません。

<乱捕・実践重視の教授法>
まずはSVO自体について教授します。内容は上とほぼ同じ内容になるでしょう。最初の20分くらいこのように基礎をしっかり学んだ後は、次に早速会話の練習に入ります。2人で、もしくは3〜4人のグループを組んで、今日習った事を使いながら、話す・聞くの練習をします。会話のテーマが出にくければ、先生が先導してあげてもいいでしょう。その自由な会話の中では、副詞や形容詞、接続詞節なども当然出てくるでしょう。また会話ですから、疑問文やその受け答え、否定文の形も登場します。先日習ったばかりの、関係代名詞を試しに使ってみる生徒も出てくるかも知れません。その生徒にとっても、それを聞いたの生徒にとっても、これは良い復習になることでしょう。

こんな会話の時間を残りの40分に費やすのです。そうして、生徒達の中でSVOの文型が血となり肉となって身についていくのです。


日本の学校英語教育は、明らかに前者の方法論をもって英語を教えています。そしてその結果として、英文法には詳しいが、全然英語を喋れない日本人が数多く育成される事になってしまったのは、改めて述べるまでもないでしょう。
それでは、現在の少林寺拳法はどうでしょうか?

つづく

841 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:45
つづき

今の少林寺拳法も、先述の英語教育と全く同様の道を歩んでいると言えます。たとえば、五花拳の1つ、片手投を例にとって考えてみましょう。

<少林寺の法形的教授法>
まずは片手投自体の形や術理を学びます。そして、右手の使い方や足の捌き方、体の入れ方、投げ方などを詳しく教えます。さらに、形としては、攻者の構えが何構えで守者の構えが何構えでといったことも教えます。この技は攻者が何をしようとして守者がどのように動こうとした時の技であるかを説明します。次にその変化形として、相手に掴まれた場合、握手してからの場合などをそれぞれ教えて、更にそれらの形の名前を覚えてもらいます。それが終わると、ようやく送片手投の説明に入ります。これは片手投とは術理が若干異なるため、また詳しく説明をします。その後、両手で掴まれた場合、諸手で掴まれた場合について説明し、やはり技の名前を覚えます。

その日の片手投の練習時間が仮に60分あったとしたら、しっかりやれば、以上までで時間がきてしまいます。ほとんどの場合、左右をする間もない内に終わってしまうでしょう。(もし実践を重視する道院長がいたら、最後の10分くらいは、乱捕の時間を設けて、相手と技を掛け合ってみるといった工夫をするかも知れません。)このような法形演練をミッチリ行う事で、拳士は法形に強くなり、少林寺拳法の他の技法との関係などの幅広い見識が身に付きます。「こうきた場合はこう返す」といった対処法については、道院長顔負けの薀蓄を語れる拳士が育つかもしれません。

<乱捕・実践重視の教授法>
まずは片手投と送片手投自体の形や術利を学びます。(両者は若干異なる術理を持つため別個で教授します)手の使い方や足の捌き方、体の入れ方、投げ方などを詳しく教えます。次は、早速投げてみます。投げ込んでみます。柔道で言えば、打ち込みや投げ込みといった学習ノウハウなのですが、これを何度も繰り返します。もちろん左右(左手を捕られた場合も)行います。この練習を30分もやったあとは、乱捕に入ります。相手は簡単には手首を取らせてくれませんし、掛けようとした際も投げられまいとしてきます。鉤手を使って防ごうとしたり、後ろから抱きついてきたりするかも知れません。更に抱きつかれた後に絞め技をしてくるかも知れません。掴んできた後、技に入る前に殴ってくるかも知れません。また、その乱捕の最中に、先日習ったばかりの引天秤系の技を試してみる拳士もいるかも知れません。使い慣れた逆小手や送小手で応戦してくることもあるでしょう。

このような実践練習を残りの30分間費やすのです。拳士達は、引天秤や逆小手、送小手その他の技との関連や、相手に防がれた場合や掛からなかった場合について体で経験しながら、片手投が血となり肉となって身についていくのです。

 ※ちなみに、攻者の構えが何構えでとか、相手がどんな逃げ方をした時の技でとかは教えません。これらは乱捕の中で、体で会得することができるからです。
 ※この例で挙げた技や、時間(30分とか)はあくまでも一例としてです。

両者を比べてみて、いかがでしょうか?(論点を分かり易くする為に、敢えて煽りっぽい文面にしてしまったことは お詫びいたします。)

つづく

842 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:47
つづき

かなり長々と書かせて頂きましたが、要するに私の言いたいことは、法形は乱捕で使えないとか、少林寺拳法の技は使えない、と言われる理由は、その技法自体に問題があるのではなく、教授法にあるということです。1つの術理を色々な角度から検証してみるのもいいですが、それはあくまでも技をより深く理解しようという行為でしかありません。それではいつまで経っても、実際に技を使えるようにはならないと考えるのです。

実際に技を使えるようにするための方法は、乱捕しかありません。(ここで言う乱捕とは、双方攻防自由乱捕のみを指すものではありません。攻防分かれていても、攻撃部位が限定であっても決して構いません。)

そして、乱捕を行うことによって法形を身に付けることを技術体系の主とするのであれば、今の教授論、技術習得の方法論も改めなければいけないでしょう。さらにそれを踏まえて、>>778から繰り返し述べてきたように、法形の分化の判断基準を明確にし、取捨選択を行います。おそらく開祖が纏め上げた理法を、現状の3分の1程度の法形の数で、後世に残す事が出来るはずです。その上で、現在の法形にない技術、ローキックや柔道対策についても法形として新たに開発し、取り入れていけばよいのだと考えています。

以上が、私の少林寺拳法への問題提起と、改善提案です。

さいごにつづく

843 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/04(木) 18:48
さいご

しかしながら、これまで138Bさん、アップルさん、ビスキュイさんが仰られているように、少林寺拳法に何を求めるかによって違ってくることなのかもしれません。少林寺をやる目的が、体育のため、健康のため、娯楽のためということであれば、私の考えは全く受け入れられないものなのでしょう。
しかし、護身術として、危急の時に「使える」ための格闘技術として少林寺拳法を考えた場合は、果たしてこのままでよいのでしょうか?
少林寺拳法に何を求めるかによって違うと言われれば、議論はここで打ち止めです。

最後に英語を例に持ち出すならば、英語をコミュニケーションのためのツールとして使いこなすことを目指すのか、それとも、英語をしゃべれない文法博士を目指すのか。皆様はどちらを目指すのでしょうか?

おわり

844 名前: Syami@Office 投稿日: 2004/03/04(木) 19:01
Fascinating and interesting!

845 名前: アップル 投稿日: 2004/03/04(木) 20:41
私の意見は使えても使わなくていい人間になりたい。希望としてはこの拳を振るうことなく一生を過ごせたらいいなと思っております。誰でもそうでしょ?やっている内容は自分でもわかっている。偽者ではないと。拳法修行自体が私のコミュニケーションツールになってしまてるのでw。ただ、少林寺拳法の本来の目的が護身格闘術の伝授であることでないのはしっていますよね?その技術は護身と言われているだけです。拳法のみのお話だったのでなんか私的には残念だなぁ。

結局乱捕りへのお話になりましたね!いい題材になったんじゃないかなー。丸廉のサイトを見てここまで考えている人もいるのはとてもうれしい。ぜひ通りすがりの休眠拳士さんには復帰していただきたいなぁ。いろいろ考えさせられました。みんなどっかでぶつかる疑問や問題だと思います。

>英語をコミュニケーションのためのツールとして使いこなすことを目指すのか
拳法をコミュニケーションツールとして使います!うふ!

846 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 20:44
>通りすがりの休眠拳士さん

素晴らしい書きこみありがとうございます!いやホントに凄いと思います。ここまで考えてる方が休眠拳士とは実にもったいない!是非復帰をお願いしたいところです。さて…それでですね…今回の書きこみを読ませていただいて思ったのですが…,通りすがりの休眠拳士さんのご意見と私(や多分138Bさんやアップルさんも)の意見は同じにことを言ってるとしか思えないんですわ。通りすがりの休眠拳士さんの

「技の応用や変化は、法形からではなく、乱捕から身に付けるべきではないか?」
を私風に言い替えれば
「技の応用や変化の考え方を法形から学び、乱捕で身に付けるべきではないか?」

となります。以下はちょうど今書き掛けていた文章なのですが,今回の話に合ってると思いますので載せたいと思います。(続く)

847 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 20:46
(続き)
今回の話題はメチャクチャ盛り上がっており通りすがりの休眠拳士さんに感謝すね〜。さてさて,それで法形の変化・応用についてなんですが,私は

>法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、
>少林寺拳法の良さなのではないでしょうか

という通りすがりの休眠拳士さんの御意見には全面的に賛成なんです。むしろこの「変化の多彩さ」,そして「変化の早さ(速さ)」が少林寺拳法の技術の肝だと思ってます。ですがこのことは「法形の数が多い」ということは別に矛盾しませんよね?それと

>「技の応用や変化は、法形からではなく、乱捕から身に付けるべきではないか?」
このことも法形の数が多いということと矛盾しませんよね?少林寺拳法を身につけるということは,個々の技の動きを習得することではなく個々の技の練習を通して「少林寺拳法的意識(思考)」を身につけることだと思うのです。いわゆる「原理・原則」というやつですね。個々の動きを身につけただけでは法形に存在しない動きには対応できませんが,「少林寺的意識(思考)」を身につければ初めての動きであっても「あ〜,少林寺拳法の視点から考えるとこの場合はこう動くのが合理的だな〜」と判断できるようになるかと思います。これのわかりやすい例としては「スレ建てるまでもない…マターリ版」でのCernyさんの書き込み(>>2845>>2848)が上げられると思います(Cernyさんがスリに狙われた時のお話)。ちょっと長いですが引用させていただきます。
(さらに続く)

848 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 20:48
(さらに続き)
>ここで男Aは、より確実に私を足止めしたいと思ったのか、いきなり左手で私の
>左脚(膝の裏辺り)を掴んできました。状況がよく飲み込めていなくとも、掴ま
>れれば抜いてしまうのがショウリンジャーたる・・・・あ、私は現役では無かった
>(w ・・・・もとい、元ショウリンジャーたるもの。咄嗟に“抜かねば!しかし、掴
>まれた脚を振っても離しはすまい”と判断した私は、左脚を軸にして左回りに一回
>転し、男Aの左後方に位置する形となりました。そのせいで、私の背後から迫るはず
>だった男Bとは、少し距離を置いて正対する形となり、もはや背後から何かをスリ取
>ることは不可能。私としては、もし男Aがなおも手を離さないようなら、右脚を彼の肘
>辺りに裏から押し当てて、両脚で挟み込むようにして左腕を逆に決めてやろうかなどと
>も思っていましたが、目論見が破綻したことを悟った男Aはすぐに手を離し、何やら言
>い訳のようなことを言いつつ男Bとともに立ち去りました。

ということで難を逃れていらしゃいます。
この中の

>“抜かねば!しかし、掴まれた脚を振っても離しはすまい”
>と判断した私は、左脚を軸にして左回りに一回転し、男Aの左後方に位置する形
>となりました



>私としては、もし男Aがなおも手を離さないようなら、右脚を彼の肘辺りに裏から
>押し当てて、両脚で挟み込むようにして左腕を逆に決めてやろうかなどとも思って
>いましたが、

の部分。こういった判断が咄嗟に出るような考え方(とそれに伴う体のコントロール)を養うのが少林寺拳法の技術練習の目的だと思うのです。もちろんこれは法形の練習だけでは身につきませんよ。どうしたって乱捕り稽古が必要です。が…法形はこの「少林寺的考え方」の手がかりなのですよ。
(またまた続く)

849 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 20:50
(またまた続き)
極論を言ってしまえば「形はどーでもいい」のです。って言うか無数に生み出せるのです。原理・原則さえ把握していれば。技は「結果」なのです。しかしこの「原理・原則」は目に見えません。現れてくるのは「原理・原則」に基づいて行った「動きの結果」だけです。ここで技術の習得方法は二つに分かれます。
・ 「原理・原則」を代表するいくつかの技を徹底的に練習させて「原理・原則」を身につけさせ,その後に千の技へと展開させる。(一の理から千の変化へ)
・ 「原理・原則」ごとにカテゴライズされた多くの技を体験させることによりそれぞれの技に共通する「原理・原則」を体得させる(千の変化から一の理へ)

入り口が逆なだけでやってることは同じだと思うのですよ。んで今回の英語の話で言えば,法形は「文法の説明」であると同時に「豊富な短文用法例による会話練習」ではないかと思うのです。
しかし私は英語は苦手なので趣味のお菓子作りで説明せていただきたいのですが,本屋さんで売ってるレシピ集がありますよね?あれが法形です。そしてレシピの数はとても多いのですが,基礎となるケーキの種類はそんなに多くはないんです。スポンジ,タルト,パイ,シュー,まあこれぐらい憶えておけばあとは材料を変えることにより色々なケーキを作れます。けど…基礎のレシピをしか本に載っていなかったらそれ以外の材料を使ってみようとするのは結構勇気が要るんですよ。例えば普通のスポンジケーキは焼けるようになったけど「抹茶を入れたら?」「ココアを入れたら?」「ナッツを入れたら?」…。
この時に何も見ずに自分で色々試すのも一つの手ですが,レシピに幾つかの事例が載っていればより推測がしやすいですよね?「ココアを入れるときは…」と書いてあれば「あ〜,ココアでこれなら抹茶でもこれぐらいかな〜」という具合に。これが法形の役割の一つかと。つまり「変化のやり方(考え方)の手がかり」を与えてくれるのが法形なのだと思うのです。
(はたまた続き)

850 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 20:53
(はたまた続き)
書けば書くほど通りすがりの休眠拳士さんと私の意見は同じに思えて仕方ないのですが,
通りすがりの休眠拳士さんのご意見は

        法形の数が多い
          ↓
     個々の法形を身につけるのに時間がとられる。
          ↓
それぞれの技の練りこみが足りなくなるし応用変化の練習にも入れない。
          ↓
だったら技を減らして基礎的な原理を身につけさせ,余った時間は練りこみや
応用・変化を各自にやらせるのに充てろや!

私の意見は
       法形の数が多い
          ↓
別々の技と考えたら時間が足りないのは当たり前!多くの技から共通する原理
を見つけ出して自分の中で組織化しろ!(この技はA-1,この技はA-2,A-3…)
          ↓
共通する原理を見つけ出せばある技の練習は同時にそれと同系統の技の練習をして
るのと同じ(A-1の練習はAという共通の要素を含むA-2,A-3の練習でもある)
だから時間が節約できるし,色々なやり方も教えてもらえてウマーッ!
          ↓
余った時間で練りこみや応用変化をやれや!

やっぱり結果は同じっぽいですね。
少林寺拳法の教授法は

>だったら技を減らして基礎的な原理を身につけさせ,

この部分を自分でやれと(別々の技と考えたら時間が足りないのは当たり前!多くの技から共通する原理を見つけ出して自分の中で組織化しろ!)。で,その作業をするなかで「少林寺的思考」を身につけろと。こういうやり方だと思うのですよ。だから私は「法形の数が多すぎる」とは思っていないのです。ただ繰り返しになりますが,やり方を間違えると通りすがりの休眠拳士さんの危惧する通りの事態に陥ってしまうと思いますよ。

以上

851 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 20:54
私の意見はこのようになりますがいかがでしょう?

ちなみに138Bさんはどちらかというと通りすがりの休眠拳士さんの提案するやり方に近いやり方してると思いますよ。技の時間を削ってでも乱捕りの時間は絶対とるって言ってたような気がするし〜♪でも法形が多すぎるとは思っていない。面白いですね

852 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 21:00
アップルさん。

>私の意見は
>使えても使わなくていい人間になりたい。
>希望としてはこの拳を振るうことなく一生を過ごせたらいいなと思っております。
>誰でもそうでしょ?
>やっている内容は自分でもわかっている。偽者ではないと。
>拳法修行自体が私のコミュニケーションツールになってしまてるのでw。
>ただ、少林寺拳法の本来の目的が護身格闘術の伝授であることでないのは
>しっていますよね?その技術は護身と言われているだけです。
>拳法のみのお話だったのでなんか私的には残念だなぁ

この意見はわかるし私も同意なのですが,ここでその言い方をしてしまうと些かマズイかと。
特にこの部分↓

>拳法のみのお話だったのでなんか私的には残念だなぁ

そう考えたならそれを理論的に説明しなきゃ〜。これも修行よん♪

853 名前: アップル 投稿日: 2004/03/04(木) 21:27
>そう考えたならそれを理論的に説明しなきゃ〜。
>これも修行よん♪

つっこまれると思いマスタ、何も考えずにだら〜と書いてしまいましたよー。修行か、書いてみたものの通りすがりの休眠拳士さんのお話につながらないなぁ。使えるようになりたい→その技を使いたいのようによくとってしまうんです。かなり論点がずれてます。スマソ。

今日ある方に少林寺拳法においては主役は指導者ではなく教えられるほうだ。といわれました。

>>だったら技を減らして基礎的な原理を身につけさせ,
>この部分を自分でやれと(別々の技と考えたら時間が足りないのは当たり前!多くの技から
>共通する原理を見つけ出して自分の中で組織化しろ!)。で,その作業をするなかで「少林
>寺的思考」を身につけろと。こういうやり方だと思うのですよ。だから私は「法形の数が多
>すぎる」とは思っていないのです。
この意見に禿同です。だからこそその人なりも面白い少林寺拳法ができるのかと。ただ、前に書き込みにも書いたように。昇級、昇段がものすごい早い支部(うちもです)では、拳士が受験生化(合格すればいい)、指導者が塾の先生(試験が通ることに重点をおいた指導)支部事態の予備校化が。。言いすぎでしょうか?
試験に通るためだけのキレイ目ななんとなくできてるように見えるくらいのレベルでその技が終わり次に進むといったことや。試験に出ないからと技を飛ばされたり、なかなかその「試験準備」と言われる期間は深く数を掛けて法形演練をすることができない。乱捕りもできない。ましてや演武なんてやらせてもらえない。鬱死。

以上の現象って皆さんの支部ではまったくありませんですか?年末ぐらいからつい先日まで試験オンパレードだったのでちょっとストレスたまってます。私だけでなくほかの受験拳士も。

その受験対策として法形が多いんじゃないの?といわれたのかと思ってましたのであとあとのカキコを読むまではわかりませんでした。今は納得。。主役であるはずの拳士が高速試験インターバルに振り回されているようで、なんとかできないものかと支部長に相談中です。

854 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/03/04(木) 21:39
アップルさん

>昇級、昇段がものすごい早い支部(うちもです)では、拳士が受験生化(合格すればいい)、指導者が塾の先生(試験が通ることに重点をおいた指導)
>支部事態の予備校化が。。言いすぎでしょうか?

>以上の現象って皆さんの支部ではまったくありませんですか?
>年末ぐらいからつい先日まで試験オンパレードだったのでちょっとストレスたまってます。
>私だけでなくほかの受験拳士も。


痛いほどよくわかりますよ〜。私も偉そうな内容を書いてますが自分で言ってることが完璧に出来てるわけじゃないし〜,試験が近い拳士には取り敢えず形だけでも教えてしまうことはあるし〜。でもせめて私が指導する時には「ほら,この技は前にやったあの技と同じでしょ?だからこの技の練習をする時は同時にあの技の練習にもなってなくちゃいかんのだよ〜」とか「どう?この技のこの部分は何かに似てない?そう、振子突の動きだよね。だから基本の振子突はこの技の練習でもあるんだよ〜」というような指導をするよう心掛けてまふ〜。

855 名前: アップル 投稿日: 2004/03/04(木) 22:42
>というような指導をするよう心掛けてまふ〜。
いいですね!カコイイ!

すでに受験生化してしまった拳士が何人もいるのですが、それぞれがとても練習が楽しくなさそうで、逆に私のほうが苦しい。けど受験生拳士は、1〜10まで本気でやらなくても3〜5くらいをなんとなくできればやり過ごせると思っている模様。

逆に必死に取り組んで試験をうけようとがんばっている拳士は、この試験期間に不満がある模様。
練習メニューが思う通りにはならない先輩拳士がこの後輩拳士たちが楽しく練習できるには何ができるんだろうかと助士になってからずっと考えてます。だから丸廉は私には必須なんですよね〜。少しずつ支部長と相談していろんなネタおろししていったり。

皆さんは楽しく練習するためにどんなことに取り組んだりしてますか?

856 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 02:01
 通りすがりの休眠拳士さん、
 素晴らしい問題提起、どうも有難うございます。英語学習との比較、非常に刺激になりました。その上で、貴方との考え方の共通点と相違点が少しだけ見えてきたような気がします。

 実は、私は米国在住です。最初の2年は大学院の学生で、英語では散々苦労しました。そのときにやはり、「日本の英語教育は…」ということを考えましたが、日本で指摘されている、日本の英語教育の問題点は殆どが的外れだということです。

(続きます)

857 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 02:47
 よく言われることが、「日本人は読む・書くは出来ても、聞く・話すが出来ない」ですが、これは完全に誤りで、本当は、日本人は読む・書くも出来ないんです。

 「読む・書くが出来る」というのは、 散髪屋で順番を待っている間に、置いてある雑誌2〜3冊に目を通し 「へー、きょうびの若い子はこういうことを考えているのか」と思う、そういうことです。私たちも、日本語では当たり前のようにやっていますが、英語で出来る人は少ないんじゃないでしょうか?

 読みがこのくらい出来れば書けるし、別に「英語耳」とかじゃなくても聞き取りは出来るし、発音は「サンキュー・ベリーマッチ」式でも通じます。

(続きます)

858 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 03:16
 では、日本の英語教授法の何が問題かと言うと、「練習量」が圧倒的に足りないことだと、確信を持つに至りました。

 一つは読む文章の量です。お聞きになったことがあるかもしれませんが、アメリカの大学院の宿題というのは半端な量ではなく入って最初の半年で読まされた量は、日本で中学校以来読んだ英文の量の合計よりも多かったと思います。

 次に、単語の量です。これが圧倒的に足りない。大学入試用の単語集なんか、全部完璧に覚えてようやく初歩です。日本語でも「字眼」といいますが、キーワードを知っていれば一言一句全部が聞き取れなくてもポンと分かるし、皆まで言わずともポンと伝わるんです。

 もし私が、真剣に英語を勉強したいという人に教えるとすれば、出来るだけ大量の英文を読ませて、出来るだけ沢山の単語を暗記させます。ザッツ・オール、難しいメソッドは要りません。

(続きます)

859 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 03:28
 もう一つ大事なポイントは、動機というか、どれだけ必要に迫られているかの切迫感です。

 大学院で勉強していると、とにかく読み・書き・聞き・話し、全部やらないといけない。出来るか出来ないかではなくて、やらなければいけない。やらなければ落ちこぼれて退学、ですから。

 更に、卒業して仕事を始めてからは、もっと真剣です。交渉して相手をうんと言わせなければなりませんから。出来なければ、生き残れません。大学院の2年間に英語力はかなり上達しましたが、仕事を始めてから、更にぐっと伸びた実感があります。

(続きます)

860 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 03:45
 で、武道・武術の話に戻りますが…

 要するに、上達のカギはメソッドそのものにあるのではなく練習量と切迫感にある、そう私は考えています。勿論、メソッドは大切ですが、練習量と切迫感があればメソッドも真剣に追求するようになるのが自然な成り行きだと思います。

(続きます)

861 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 04:05
 以下は、極論ですが…

 本当の意味で護身術を身につけようとしたら「場数」も踏む必要があります。第3種お神楽(笑)というのは、実は本当は非常に有効な訓練です。どんなに道場で強くても、イザという時には足がすくむのが普通ですが、ある程度場数を踏むと、或る程度冷静になれます。

 これは「自信」というのともちょっと違うような気がします。ヤク中の男に、拳銃を後頭部に突きつけられて、カチッと撃鉄起こされたりするとこりゃ「自信」の余地なんて無いですから。要するに「ま、死ぬときゃ死ぬんだし」と思えるかどうかです。

 幸い生きてますから、良い経験になったと思いますし、こんな減らず口も叩ける訳ですが…でも、最後まで冷静であることが生存の確率を極大化する方法だというのは間違いの無いことでしょう。

(続きます)

862 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 04:17
 私は、武道にせよ、護身術にせよ、もっとも大切なのは「錬胆」だと思っています。「あらゆる攻撃に対応出来る技術体系」なんてあり得ません。それよりも、非常時の冷静さを身につけることの方がよっぽど重要だと思います。

 でも、そういうものって、和気藹々とした練習で身につくわけがありません。私が乱捕試合復活論者なのは、「身の危険を感じる機会を、出来るだけ安全に提供する」(笑)という趣旨です。命まではとられないが、気を抜くと大怪我をする、そういう修行は「錬胆」のために不可欠だと思うのです。

(続きます)

863 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 04:36
 「あらゆる攻撃に対応出来る技術体系はあり得ない」について、もう少し。

 「タックルされたら?」「マウントポジションをとられたら?」そういう問題提起もよく見かけます。私が拳銃を突きつけられたときに思ったことは「そういえば、少林寺では対拳銃というのは習わなかったな…」ということでした。

 相手が拳銃だったらどうしようもない、出来るだけ騒がず、相手を刺激させないように従う、これが確かに大原則です。でも、実際にそういう目に遭ってみて分かったことはその大原則もちょっと違うかなぁ、ということです。

 相手が金だけとっておとなしく退散してくれればいいですが、ヤク中で理性を失っている場合は危険が大きいし理性があっても、証人隠滅のために殺害されることも多いのです。だから、もし雲行きがさっと変わったときにはダメ元で反撃しなければ殺されます。で、どうやるのが一番良いか頭をめぐらしていたときに、私は拳銃について何も知らないということに気がつきました。相手の正面に回った方がいいのか、裏に回った方がいいのか、捕り方は逆小手がいいのかS字がいいのか…
 
 今は日本にも拳銃があふれていますから、決してあり得ないシチュエーションではないですよ。そして、マウントポジションだとタコ殴りにされるだけですみますが、脳みそスイカみたいに飛ばされるのはちょっといやでしょ?

(続きます)

864 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/03/05(金) 04:52
 もう一度、最初の論点(教授法)に戻ると、一般コース、競技コース、護身術コース… のように生徒をコース分けするのも一案かな、と私は考えています。

 競技についても、あくまで研究の一環として、という考え方は成り立ちうるのではないでしょうか?
 研究の一環として、他流の大会に挑戦する人を応援するだってあっていい。

 護身術コースについては、或る程度修行を積んだ人に対して拳銃も含めた対武器術も含めて教える。対武器術である以上、武器そのものの講義も含める、とか。私は拳銃について全然知りませんでしたが、レボルバーはどういうものでオートマチックはどういうものかどのくらいの力が入れば引き金が引けるのか、などなど色々勉強しました。)

 長文になり、また議論が必ずしも噛み合っていませんが、こんなことを考えている拳士もいるということで御勘弁下さい。

865 名前: 138B 投稿日: 2004/03/05(金) 16:47
通りすがりの休眠拳士さんの言わんとすることはよ〜く分かります。あ、いや、分かってないのかな?1回流して読んだだけなんで、また逆説的にお話しされていたりすると誤解しているところがあるかもしれません。

ご提案する教授方法は普通やってると思いますが、そうじゃ無いのかな?Syamiさん所なんかもそうなんじゃないのかと、いやもっと恐ろしいかも?ただ、限られた時間なんでってところが問題ですね。まさに40過ぎ拳士さんの言っている通りなのです。

法形をさーとやって、それを使って乱捕りをする。始めは1つ、そのうち手駒が増えて色々使えるようになりますよね。そうすると、今度は「これで受けてやろうか」と考えるようになる。でも相手は思うように攻撃してくれないわけで、色々工夫する。だんだん使い方がこなれてくる。そのうち一見上手く行くようになると、今度は攻者が意地悪をしだす。という感じで進める現在の少林寺の教授方法の何処に不満があるのか?

色々ためす手駒の中の法形は決して多いとは思いません。そうやって考えた場合に、ローキックに対する法形ってどんな風にするのか実は私には思いつかないのです。ローキックに対する対処方法という意味ならいいけど、流れの中で使うのにはどうなのかな?と、

またずれてるかも知れないので、そしたら聞き流してやってください。

866 名前: 通りすがりの休眠拳士 投稿日: 2004/03/06(土) 01:38
>>845>>853 アップルさん こんばんは

>使えても使わなくていい人間になりたい。
>希望としてはこの拳を振るうことなく一生を過ごせたらいいなと思っております。

勿論私もそのように思っています。おそらくアップルさんは「使える」という言葉の意味を、私とは