少林寺拳法の基礎事項B

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格闘技と武道の違いを問われると、その違いを即答できるでしょうか。以前に私は友達や新入門の拳士に問われたことがあります。なかなか鋭い質問です。一般的には、格闘技と武道の違いを認識している人もあまりいないと思うますが、こういう機会はありませんか?
まず、私の考えから書くとそれは「ルールの有無」ですね。というのも格闘技はスポーツですね。で、武道は、、、何でしょう?
スポーツとは分けたい気がします。。武道と言うとあまりに漠然としているので、以後護身術と解釈してくださって結構です。そもそも少林寺拳法は護身錬胆を謳っていますし、現代において武道といえば護身術以外では使い道がほとんど無いですからね。

615期生の脳内イメージ |
格闘技はスポーツだと書きましたが、そう、スポーツなんです。球技・陸上・水泳…などなど、これらと同列に一つのカテゴリーとして格闘技もあります。
まず、スポーツの特徴とは何でしょうか。各種競技大会や運動会で聞く選手宣誓に注目してみると、「我々はスポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを誓います。」 ということを宣言していますね。つまりスポーツの特徴、大切なのは、フェアプレイの精神です。スポーツでは明確なルールが必ずあり、ルールを外れた行為に対してはペナルティが科せられます。またこれを厳守するために第三者による審判がいます。
対して武道には、(私は)フェアプレイの精神というものは無いと思います。むしろスポーツとの差異を強調するならば、あるのはアンフェアの精神です。
これらの具体的な違いを挙げてみましょう。まず前述の1.ルールの有無が一つ。また2.審判の有無もあります。護身ではもともと反則行為などというものは無いので、「卑怯だ!!」というのは実質弱者の戯言としてスルーです。反則行為を判断する審判の存在はスポーツならではです。 |
またスポーツ(格闘技)ではリングドクターが常駐しており、3.重大な怪我に対しては試合が中断し治療が受けられます。しかし護身の場では、たとえ腕を失っても治療は受けられず、むしろ闘争続行すら必要な有様です。
次に護身の場では、相手は4.複数(衆敵)、5.武器有りを前提とするべきです。これは格闘技では基本的に共に心配無用ですね。護身では相手が一人ならラッキー、素手ならラッキー、素手で一人ならダーマに感謝する勢いです。
あと以下はルールに因るのですが、技術を用6.いる時と場所、格闘技では試合の日時が決まっており、そして向かい合ってスタートします。対して護身というのは、ある日突然用い無ければならない(のが前提)です。
以上これらをあわせて考えてみてください。護身の場とは、突然に起こり、相手は複数・武器有り、審判もドクターもいない。格闘技とは想定している、すべき状況にかなり差があるとは思いませんか?
このように見てくると、スポーツというものは「ルールに守られている」とも言えます。このような表現は、まるでスポーツ(格闘技)が武道(護身術)と比べると劣っているという印象を受けるかもしれませんが、決してそんなことはありません。私はそれぞれに一長一短があると考えています。
「スポーツ、つまりルール有り」の利点に、まず技術の精錬があります。これはルールで限定されたが故におこる進歩です。スポーツはルールにより明確な勝ち負けがが規定されているため、これに従うことで「勝利」という目的が明確になるため、最善策というもの想定が可能となります。これが技術の進歩につながります。対して武道・護身では目的というものに個人差が大変大きく、全体としては大変にぼやけている気もします。人によっては目的の存在すら疑ってしまうこともあります。ですから開祖が少林寺拳法に「自己確立・自他共楽・理想境建設」という漠然とはしていますが、組織(全体)としての目的を掲げたことはこの点で無駄なことではなかったと思います。
次に「ルールで守られている」がために全力で取り組めるという利点もあります。これはとても大きい利点です。たとえば柔道を考えてみてください。柔道では全力・必死・真剣に相手を投げに行きます。この全力というのは精神的にとても健全ではないでしょうか。特に若者にはとても魅力的です。少林寺拳法の技術を見ると分かるとおり、武道の世界には全力を出すこと、試すことが出来ない技術というのが山のようにあります。このような技術は体格差を始め様々な格差を埋めるためには必要不可欠な技術ですが、それ故に危険な技術です。そして畳水練・机上の空論にも陥りやすいという現実があります。スポーツは全力を出すからこそルールの尊守が必要になるともいえます。
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格闘技 |
武道(護身) |
| ルール |
有 |
無 |
| 時と場所 |
随意 |
不随意 |
| 審判 |
いる |
いない |
| ドクター |
いる |
いない |
| 闘法 |
相手 |
基本的に一対一 |
たぶん複数 |
| 武器 |
素手、もしくは
同等のものを持つ |
あると想定すべき |
| 練習 |
目的 |
明確 |
不明確 |
| 力加減 |
全力でもよい |
全力は危険、過ぎる |
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各種スポーツとルールは互いに高めあうよい関係にあると思えます。ルールを単なる制限ではなく、むしろルールを逆用して技術の精錬というものを少林寺拳法はもっと学ばなければならないのかもしれません。こういった観点で私は、少林寺拳法の技術は競技化には向かないが、あってもいいと考えるのです。
この節の最後に、昔2ちゃんねるで見たなかなか感激したカキコを張っておきます。
これは大切なことです。格闘技は逃げたら負けです。でもリターンマッチがあります、次があるんです。でもね、護身術は逃げても負けじゃないんです。逃げることは負けではなく戦術の一つです。開祖は「生きているうちは負けたんじゃない」と言っています。少林寺拳法の負けにリターンマッチはありません。
■開放系と閉鎖系
上の図で、「開放系」「閉鎖系」という語を書いておきましたが、つまりこれもルールの有無ということです。「系」はseriesのことではなくsystemのことです。スポーツは「ルールに守られている」。つまり閉鎖系なのです。丸廉という名前の由来をご存知でしょうか。それは「丸廉の名称の由来」のページに全文が載せていますが、要所の一部を以下に書き出します。
スポーツはルールに基づいて競われるものであるから、ルール以外のことを考える必要のない自己完結型の体系である。道歌で言う「○」である。これに対して武術は不確定要素である危機を管理することを主眼とするもので、変化が最も重要となる。投技から突技に、蹴技から投技に等々、臨機応変に相手の攻撃に対処しなければならないのである。道歌の「一廉」には、このような武術が自己完結しない体系であるとの意味が示唆されている。また武術もそれを支える原理の「一廉(ひとつのデフォルメされた表現)」なのである。術から道、兵法から平法へ等と言われる武術、武道の展開はここに述べたような視点の拡大を考えに入れておく必要がある。そして、こうした視野の拡大において最も重要なのが心、意識の変革である。意識の一点が加わることで技法は無限の変化と展開を始める。
全文はコチラ (『月刊秘伝 2002.2月号』より) |
つまり、私は自己完結するものを閉鎖系とし、自己完結しないものを開放系としました。蛇足かもしれませんが少林寺拳法を修練する上でこの開放系というのはとても重要だと思います。もし少林寺拳法が閉鎖系であれば、三徳兼備は難しいと私は考えます。日本で武術が武道という「道」まで昇華され過程にも開放系は重要だったはずです。
社会では、フェアプレイな部分とアンフェアな部分があると思います。社会生活を行うには有形の法律をはじめとして、無形の道徳・規範を守ることはとても大切なことです。スポーツはこのような一面の教育に大変役立っていると思います。これがフェアプレイが生きる一面でしょう。そして同時に社会にはアンフェアな部分もあります。「護身の場」とはその典型的な一例かもしれません。すべての人がフェアプレイを尊守することは現実にはありませんから、我々はこれらに対しても無関心であってはいけないのではないでしょうか。武道はこのような一面の教育に大変役に立つと思います。
現在では武道と格闘技の境界線はかなりぼやけていて、明確なものではありません。なぜこんなことを書くというかですね、少林寺拳法の拳士は基本的にルールというものに疎いんです。
■少林寺拳法とルール
少林寺拳法は確かに護身術を謳っています。一般的にはたぶん競技を想定した稽古はしていません。そしてボクシングルール・キックルールというように、これらに対応する少林寺拳法ルールという明確なルールを持ち合わせてはいません。限定乱捕りという概念がありますが、これも一つのルールを全体で共有しているものではありません。ルールを持ち合わせてないこと、これは別に恥ずるところではありません。少林寺拳法には少林寺拳法の姿勢があるからです。なによりこの明確なルールの無さが、拳法の自由な研究には重要です。
しかし、時にはルールがいなことが美徳となっている節があります。「少林寺拳法は何でもありだぜー」「路上では〜相手は何してくるかわかんないぜ!!」 えぇ、その通りなんです。間違いではないんです。だからといってルールというものを頭ごなしに否定していないでしょうか。上述のとおり、ルールの存在にも大切な一長があるのです。他の格闘技を見て「少林寺拳法ならこうするぜ!!」とか「少林寺拳法には〜があるぜ!!」言うのはね、大抵は負け惜しみ。
少林寺拳法で乱捕り稽古が衰退している理由にこういったルールへの無理解があると私は感じます。
ルールを規定するの何のためでしょうか? それはもう上に書きました。一つに安全性を確保するため。次に技術の進歩のためです。この大きな二つの目的の為に、限定乱捕りというものがもっと活かせるのではないでしょうか。少林寺拳法において、「乱捕り」といえば、強度は大抵高い、高すぎる、そしてルールは…不明。そりゃ怖い。怪我もする。乱捕りになんかしたくない、やらせたくないと師弟共に思いますがな。
上段突無しのルールの時にも、「えへへ、ついつい上段突いちゃった〜習慣で…」。これは笑うところではありません(わんわん談)。冷静に乱捕りを行いルールは守りましょう。習慣というかこれは技術的に未熟な場合も多々です。ルールを尊守している相手に悪いですし、この場合「卑怯」とさえ言われます。
普段ルール内で練習している人は、ルールが変わっても、つまり自分たちの得意ルールじゃなくても、それをちゃんと守ります。その時々のルールの価値と目的を理解してそのルールに従うのです。ノールールを美徳にするのもいいでしょう。しかしルールがあるときはルールを守りましょう。
■乱捕り稽古とルール
乱捕り稽古にルールという存在がもっと活かせないでしょうか。運用の稽古に、ルールというものをもっと活かせないでしょうか。ルールをただの制限として捕らえるのではなく、むしろそれを逆用して技術の向上・精錬を図れないものでしょうか。スポーツの世界ではこれが当然のように行われているのです。少林寺拳法で出来ないわけがありません。
ルールといっても決して堅苦しいものでは無く、単純に乱捕り稽古をする前にお互いに申し合わせるだけでも充分なのです。例えば、
- 上段攻防の上達をしたいなら、上段限定。
- 流水の上達を目指すなら、転身と受を禁止。
- 蹴の上達を目指すなら、必ず連携に蹴を入れるようにする。
- 単撃のみ、三連のみ。
- 柔法であれば利き腕ではないほうのみを掴んでもらう。
- ………
このように、自分の弱点を明確にすると目的も明確になり、限定乱捕りはいくらでも任意で設定できます。また基本や法形へのフィードバックネタが出来ます。自分で設定できることが重要です。自分の弱点は特に制限を設けない乱捕り(力加減は制限すべき)を数回やれば、浮かび上がってくるものです。
人によっては乱捕り稽古のルールを、意図して不自然な設定を行い、そこに「目的があること」「一つのルール内の稽古であること」を強く印象付けようとする場合もあるようです。まさにルールの逆用でしょうか。特に後者は、一つのルールで強いだけではダメだ!!
と印象付ける為にやるようです。その為に不自然なルールで行うらしいのです。
乱捕り稽古に慣れている拳士は特にルールを設定しなくても、(非限定)乱捕りの中で自分で設定することが出来ます。むしろ申し合わせるのが面倒なので勝手に自分に科して乱捕り稽古をしています。しかし、乱捕り稽古に不慣れな者、新入門・級拳士などは指導する側が設定してあげることが必要です。ルールを明確にすれば、目的も明確にすることできます。ここが重要です!!
ルールの価値というものを見直してみましょう。
本頁の要点
- 格闘技と武道の違いを説明できるようになりましょう。
- ルール存在の利点を考えましょう。
- それを乱捕り稽古に積極的に利用しましょう。
- ルールはお互いに守りましょう。
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追記1
禅宗ではよくこのようなことが言われるという。
「禅を学ぶ前、山は山であり川は川である。禅を学んでいる時、山はもはや山ではなくなり川もまた川ではなくなる。しかし悟った後には、山はふたたび山であり川もまた川となる。」
武道と格闘技の間でもこれと同様なことが言えるのではないかと思います。一度武道と格闘技は離れますが、更に学べばこれらは同じものとして表れるのではないでしょうか。 |
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2ちゃんねるより
752 名前:名無しさん@一本勝ち[sage] 投稿日:2006/01/19(木) 22:28:35 ID:HFvIF2b50
嘉納治五郎の偉大さは、古流柔術の技術から危険な技を取り除き、練習生が全力で技を掛け合うことの
できる体系として柔道を作り上げたことである。
このことが、かえって柔道の実戦性を高め、型稽古中心だった古流柔術諸派を、駆逐する原動力となった。
全力で乱取りに取り組める練習体系によって練られた技術、体力、精神力が、実戦格闘技としての
Jujitsuを生み出すことになった。
このような意味のことを、グレーシー柔術の本で読んだことがある。
少林寺拳法にも同じことが言えるんじゃないかな。
つまり、全力で技を掛け合える仕組みが必要なんじゃないか?
安全性を保ちながら。
丸廉掲示板より
- 4863 名前: 上方 投稿日: 2005/03/19(土) 00:34:22
- どこに書き込めばよいのでしょうか?????
少林寺拳法とルール 感動しました。
うちのドウインでは乱捕りに防具をあまり使わないので顔面は基本的には当て止めで、下段への体重をのせた蹴りも暗黙のルールで軽めです。本気で蹴れるのはミットだけです。
防具そうちゃーく時はそこへはフルコンタクトですね。受けて崩して倒すところまではokみたいな感じです。
ただし、人数が極小なのでお互いの癖を知ってるので乱捕りもパターンにはまっていて、若干スポーツ的かもしれません。色々と交流できる○廉っていいですね。
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少林寺拳法の基礎事項@ 何故一度目は払うのか?
少林寺拳法の基礎事項A 守主攻従の技術体系を支えるもの
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